「アメブロ」、芸能人の公式ブログでアクセス数が急増

http://www.nikkeibp.co.jp/news/it08q2/576510/

ネットレイティングスでは、芸能人/有名人ブログは開設数も利用者数もこの1年間に急増し、1つのメディアジャンルとして確立しつつあると分析している。若年層を中心に携帯電話からのブログアクセスも増加傾向にあり、モバイルアクセスを集計すると利用者数はさらに増えるという。ただし、多くの利用者を集めるのは2000以上あると推定される芸能人/有名人ブログのごく一部。利用者数が20万人以上いるブログは21、10万人以上のブログは40にとどまった。

私の場合も、定期的に見ているブログは10もありませんが、おもしろく継続的に読みたいブログというものは、ありそうでなかなかないものだと思います。芸能人ブログでも、おそらくそうなのでしょう。
芸能人に限らず、世間に対して何らかの形で自分をさらし、看板を立てて活動している人は、ブログ程度はやって自分の考えなり活動などを明らかにしておく、ということが、今後、ますます求められる時代になっているように思います。と言っても、難しく考える必要はなく、自分のできることを確実にやって行く、ということで十分でしょう。

サミット警備 陸自テロ部隊初投入

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080629-00000034-san-pol

陸自は要人輸送を含む輸送任務で中央即応集団の第1ヘリコプター団(千葉県・木更津駐屯地)所属のヘリなど約20機を活用。G8(主要8カ国)に加え、拡大会合で過去最多の14カ国を招待していることを踏まえ、要人警護に万全を期す。
また、サミット会場周辺での不測の事態に備え、陸自真駒内駐屯地の第11旅団に防衛相が待機命令を発令する。サリンなどの化学兵器テロに対応するため、東千歳駐屯地の化学防護隊も待機させる。中央即応集団傘下部隊の派遣とあわせ、あらゆる陸上テロに対処できる態勢を整える。

各国首脳が一堂に会するサミット会場への空からのミサイル攻撃に備え、イージス艦を周辺海域に待機させる。イージス艦が撃ち漏らした場合は、航空自衛隊の八雲分屯基地に配備した対航空機・巡航ミサイル用の迎撃ミサイル(PAC2)を活用し、2段階での迎撃態勢を敷く。
このほか、九州・沖縄サミットでも投入した空自の空中警戒管制機(AWACS)やE−2C早期警戒機を飛ばし、24時間態勢で空中警戒を行う。不審機やハイジャック機への対処として空自の千歳、三沢両基地で24時間待機しているスクランブル機の機数や隊員数を増強する。
また、海自の艦艇が北海道周辺海域の警戒にあたり、洞爺湖に近い内浦湾にミサイル艇やヘリ搭載護衛艦を待機させる構えだ。

これだけの態勢に対し、ミサイル攻撃などで正面から攻撃を仕掛ける、というのは、成功の見込みが低い、その意味で愚かな行為であり、現実にテロが起きるとすれば、この態勢をかいくぐるような形で起きる可能性が高いでしょう。
一般人に紛れ込み、自動車も使い、「自爆」といった手段も辞さず、突如として対象に攻撃を仕掛けてくるというテロの可能性が最も高いように思います。やはり、自衛隊のような軍事力よりも、警察力のほうで抑止すべきという側面が強いでしょう。
諸外国には、FBI、MI5のような、対国内情報機関がありますが、日本の場合、態勢が整備されているとは到底言えない状況のようであり、「何か」が起きる前の情報収集や、収集した情報を、防止や被害の最小限化へと結びつけることができるのかどうか、不安を感じます。
その意味で、日本の、こういった事態に対応する能力全般が試されている、ということも言えるように思います。

無罪判決を書く裁判官は出世できないか?

http://d.hatena.ne.jp/okaguchik/20080628/p3

について、コメントでも話題になっていますが、無罪判決を出したことそのものというより、その内容が問題なのではないか、というのが私の感想です。
検察庁内部では、1審での無罪判決、実刑相当事案での執行猶予判決、といったものを「問題判決」などと称して検討し、私もそういった検討の場に加わったことが何度もありましたが、そういった判決が出るのが必然、あるいは、そこまでは言えないもののそういった見方も十分あり得る、という場合があります。そういう判決に対しては、ほとんどの場合、そもそも控訴ができなかったり、控訴しても棄却される、ということになります。
その一方で、これでこの判決はないだろう、ということが感じられる、証拠の評価を誤るなどした文字通りの「問題判決」というものも確実に存在し、そのような判決に対しては、ほとんどの場合、控訴して破棄され有罪、あるいは実刑になる、ということになります。
被告人、弁護士には、その立場からの見方というものがあり、確定した判決について、これはおかしい、不当だ、ということを強く感じる場合も多々あって、そういった見方から、上訴審で破棄はされたが一審の無罪判決、執行猶予判決が正しかった、と感じられることも当然ありますが、そのような印象と、日本の裁判制度における証拠に基づくスタンダードな、オーソドックスな処理として妥当かどうか、という判断には「ズレ」がある、ということも少なくありません。
裁判所における裁判官の勤務評定が、どのように行われているか、私の知るところではありませんが、中身そのものというよりも、上記のような一連の流れについて情報収集が行われ、総合的に評価され、その後の処遇に反映されることになるのではないか、という印象を持っています。無罪が出て当然、あるいは、無罪という見方も当然あり得る、という事件で無罪判決を出しても、だから出世できない、冷や飯を食う、ということはないと思います。
個別の判決の内容を独立して見ているとわからないことでも、集積したものを見て行くことで、その裁判官の能力はそれなりに見えてくるものであり、無罪を書くから出世できない、というのは、短絡すぎる見方ではないかと思います。
私のように、検察庁で冷遇され出世に縁がないままドロップアウトした、見方を変えれば放逐されたことを根に持たず、前向きに生きることを目指している、というタイプは、どちらかというと少数派であり、法曹というものは自信過剰な人が多いだけに、出世(自分はこの程度まではなれたはずだ、という主観的な目標)欲が満たされなかったことをいつまでも根に持ち、後ろ向きにこだわり続け、その原因を、自分ではなく他に求める人は非常に多い、という実態があります。そういう、原因を他に求める中で、「無罪を書いたからだ」などということが、まことしやかに語られる場合もあり、「そうではない」という完全な反証が困難であるだけに、そういった話は一人歩きしがちという厄介な面もあります。この種の話を聞く場合には、そういった危険性ということも念頭に置く必要がある、ということも感じます。