掲示板の殺害予告で逮捕=女子児童16万人脅迫容疑−千葉県警

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080218-00000045-jij-soci

書き込みは殺害の相手を特定しておらず、同課は県内の全女子小学生に対する脅迫容疑を適用した。
同容疑者は「反応が面白かった」と書き込みを認めているという。

昨日午後、都内の病院で精密検査を受けていたところ、この件を含むネット犯罪について、日本テレビの朝の情報番組「スッキリ!!」から取材依頼があり、夜、六本木ヒルズで取材を受けました。19日朝の番組に、ちらっと登場するかもしれません。東京拘置所へ行った後に精密検査、という1日であったため、相変わらず弁護士らしくない格好での登場でした。

http://www.ntv.co.jp/sukkiri/

「県内の全小学生に対する脅迫」という構成が成り立つのかどうかは疑問があります。この論法が成り立つなら、特定の会社の社員を無差別に殺すと書き込めばその会社の社員全員(大会社であれば社員数十万人という会社もあります)に対する脅迫罪が成立するなど、脅迫罪の成立範囲が広がりすぎてしまいかねないでしょう。
16万人中の何人かについては、特定した上で被害者調書を作成しておいたほうがよいでしょう。>千葉県警千葉地検
ちなみに、精密検査(肺がんの疑い)は、何ら異常が認められず、もう帰っていいよ、という感じで終わりました。まだ、当分、死ねないようです。

JFK暗殺事件で新たな資料発見―ダラス検察当局=地元紙

http://www.asahi.com/international/reuters/RTR200802180029.html

その中には、オズワルドとルビーが、ケネディ元大統領の弟ロバート・ケネディ司法長官が取り組んでいたマフィア撲滅を阻止するため、大統領の暗殺を協議している会話の記録とされる文書も含まれている。

ケネディ暗殺に関する本を読んでいると、オズワルド単独犯行説否定を強調するあまり(私も複数犯行説に立っていますが)、オズワルドの真の役割の検討がお座なりになっている傾向があるように思います。オズワルドが、教科書ビルからの狙撃を行っていなかったとしても、暗殺グループには自らの意思で身を投じ、証拠不十分ですぐに釈放される、などと言いくるめられて、現場での犯人役を体よく押し付けられ、ルビーによって消された、というのが、あり得る構図ではないかとも思われ、そうだとすれば、上記のような文書の存在もうなずけます。

野蛮人のテーブルマナー

野蛮人のテーブルマナー

野蛮人のテーブルマナー

話題の佐藤優氏の本ですが、副題が「ビジネスを勝ち抜く情報戦術」とあるだけに、「情報」ということに焦点を当てた内容になっていました。
私も、かつては、検察庁という、一種の情報の世界に身を置いていて、真相解明、立証、といったことを、日夜、考える毎日を送っていたので、佐藤氏が語るいろいろなノウハウが、単に、机上から生まれてきたものではなく、実体験の中から紡ぎ出されてきたものである、ということは実感としてよくわかりました。
これだけデジタル化が進んだ社会で、なぜ、「紙」を完全に捨て去ることができないのか、といったことについても、適切に説明されていて、情報の取り方、使い方全般についての、一種の入門書のような使い方もできるのではないかと思いました。
これだけの人物が、売れているとは言え、著述の世界にとどまっているのは、惜しい、という気がします。

月刊真木よう子 SPECIAL

月刊真木よう子special (SHINCHO MOOK 99)

月刊真木よう子special (SHINCHO MOOK 99)

ドラマ「SP」の真木よう子が非常に良かったという印象があり、この本(雑誌?)を、早速、入手しました。
ざっと見てみましたが、写真集としては、出来がいまいちだな、と思いました。せっかく、これだけの素材があるのに、生かしておらず、平凡、陳腐な写真が多い、という印象を受けました。読後感としては、やや失望、という感じでしょうか。
良い仕事、というのは、なかなか難しいものです。

続 獄窓記

続 獄窓記

続 獄窓記

同じ著者による

獄窓記

獄窓記

が、刑務所内での生活を中心に描き、仮出所したところで終わっているのに対し、「続」では、仮出所後のことが描かれています。
最初の100ページくらいまで読んだところですが、国会議員から受刑者となり、服役後、出所した著者の、様々な場面での微妙な心理が書き込まれていて、体験した者でしかわからない迫真性、臨場感があって(刑事事件の判決文のようですが)、なかなか「読ませる」ものがあります。
特に感じたのは、著者のように、良い言葉ではありませんが「落ちるところまで落ちた」という状況においてこそ、周囲の人間の中で、真に思いやりがある人、心の優しい人、親身になってくれる人が誰か、ということが、くっきりと見えてくる、ということでした。
自分自身を飾ろうという意図なく、至って率直な語り口で書き進められていて、前作と同様、興味深く読める1冊になっていると思います。

旧長銀経営陣の有罪判決見直しへ 最高裁が弁論期日

http://www.asahi.com/national/update/0219/TKY200802190366.html

長銀には債務の穴埋めなどのために巨額の公的資金がつぎ込まれた。「国策」として行われた旧経営陣の刑事責任追及は、東京地検特捜部が中心となって進められた。

二審判決は、当時の大蔵省が97年に出した資産査定の基準に従う「公正なる会計慣行」から大きく逸脱する会計処理は許されないと判断した。最高裁はこの部分を見直すとみられる。
同じく破綻した旧日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)をめぐっても、旧経営陣が刑事裁判で一、二審とも有罪とされ、上告中。旧長銀事件と争点が重なっており、今回の判決見直しは旧日債銀事件の行方にも影響を及ぼしそうだ。

この事件は、既に地裁、高裁の段階で、起訴にかなり問題がある、無罪では、と言われてきたものでしたが、遂に、最高裁が乗り出し、誤った判断を是正する、ということになりそうです。
最近、国策捜査の問題性がクローズアップされ、私自身が現在、起案中の書面でも、国策捜査、という言葉が登場するのですが、そういった問題のある捜査、偏頗で歪み切った警察、検察ストーリーに「ダメ出し」をして、国民を違法・不当な捜査の魔の手から救い出すことができるのは、やはり、司法権を有する裁判所であり、裁判所に期待され、果たすべき役割には多大なものがある、と言えるように思います。