外銀元行員に2審も無罪・旧五菱会ヤミ金融事件

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070912AT1G1200N12092007.html

以前の1審判決の際に、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060322#1143028261

とコメントした事件ですが、控訴審でも無罪という結果になりました。

検察側は「客観的な取引態様からも金融機関の職員の被告がマネロンの疑いを持たないことはあり得ない」と主張。被告側は「ヤミ金融という認識はなく、マネロン防止のための『顧客の本人確認』も実行していた」と反論していた。

検察官は、控訴はしたものの、見るべき立証ができなかったようですね。今後、判例誌で紹介されることになると思いますが、是非、読んでみたいという気がします。この種の事件における「犯意」を考える上で、今後の参考になる可能性が高いでしょう。

みのと大沢が激論「弁護士は被告のため最大限主張すべきか」

http://www.j-cast.com/tv/2007/09/12011204.html

みのもんたは気に入らない。「月日が経つと、弁護もしたくなる、罪も軽くしたくなる。あらゆる手を打ってくる。やむをえないことですか」とストレートだ。
大澤は「それが裁判というものです。主張すべきものは主張して、裁判官がそれを判断するというシステムですから、これは理解してもらいたい」

私の場合、最初は検事をやり、その後に弁護士になって現在に至っていますが、検事をやっていると、法廷に出す証拠も出さない証拠もすべて見て、事件の実態はかなりつかめるので、そういう立場から弁護活動を見て、馬鹿げた主張、荒唐無稽な主張、あまりにも独りよがりな主張等にあきれたことはよくありました。ただ、そういった無理な主張、立証が裁判所によって採用されることは、通常はあり得ません。一蹴されて終わってしまうものです。
弁護士になって感じるのは、検察官のようにあらゆる証拠が見られるわけではなく、基本的には法廷に出される証拠しか見ることができない上、ここはこういう主張、立証をしたい、といった被告人の希望、意向は、弁護活動に最大限反映させる必要があり、その中で、どうしても、裁判官や検察官から見た場合に、無理な主張、立証、といったことが起きてくる場合もある、ということです。そういった無理な主張、立証に、国民の批判が集中することがあるのも、開かれた民主社会ではやむをえないことではありますが、検察官が攻め弁護人が守り、最終的には裁判所が公平な立場から判断を下す、という対審構造においては、攻める役割だけでなく守る役割というものも必要であり、裁判はゲームではないものの、プレーヤーがいないとゲームがはじまらない、ということと似ている面もあって、そういった役割そのものを否定するような議論をされても困ってしまう、というのが率直な感想です。

ヤフー、大胆な戦略変更は期待薄か

http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=RSBTP1812%2010092007

好調な日本のヤフーではなく、次第に追い詰められつつあるアメリカのヤフーに関する話題です。

上級幹部らが協議したシナリオは、検索広告をグーグル(Nasdaq:GOOG)あるいはマイクロソフト(Nasdaq:MSFT)に外部委託するといったものだった。これら筋の1人によると、この構想をヤフーはグーグルに持ちかけたという。
これが現実化すれば、ヤフーに年数億ドルの規模の増収効果を直ちにもたらすとみられる。

最終的には採用が見送られたようですが、検索広告の外部委託まで検討される、ということは、かなり追い込まれていると見るべきでしょう。こういった方法で一時的な増収が得られても、無理な延命を図っているようなもので、長続きするとは到底思えません。
この動き、流れが、やや遅れて日本のヤフーにも波及するのか、日本は日本独自に今後も発展し続けるのかが注目されるように思います。

52人を判事補として採用 最高裁が内定

http://www.asahi.com/national/update/0913/TKY200709120385.html

採用数は昨年の115人(同35人)より減っているが、今年は新司法試験に合格した「新60期」修習生からの採用内定も年末に予定されていることから、最終的には例年並みとなる見込みだ。

52人は少ないな、と思いましたが、記事にあるように、今後の新60期からの採用も控えているのでこの数字、ということですね。旧60期と新60期の裁判官で、資質や能力に何の差異もないかどうかは、今後の仕事ぶりの中で判断されて行くことでしょう。
私は、検事からスタートし、弁護士に転じ、あとは裁判官も経験すれば、法曹3者をすべて経験できるので、最近、弁護士任官にやや興味を持ったのですが、司法研修所の成績も予想通り良くなく、また、性格的に裁判官よりは当事者向きであるように思うので、当面、弁護士として、細々とではありますが、やって行くことにしました。

帰還できないことを覚悟していた山村新治郎・運輸政務次官(よど号ハイジャック事件)

1970年に発生した「よど号ハイジャック事件」(日本初のハイジャック事件)で、当時の山村新治郎・運輸政務次官が、乗客の身代わりの人質となり、単身、よど号に乗り込み韓国から北朝鮮へ行ったことは、あまりにも有名ですが、昨日の朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記」に、よど号航空機関士であった相原利夫氏の

相原は、客室の山村が腕時計もしていないことに気づき「帰れないと覚悟している」と感じたことが忘れられない。山村はよど号に乗り込む時、形見として時計も財布も韓国に残してきていた。

という体験談が紹介されていました。
以前、本ブログでも

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060831#1156952325

とコメントした、吉田茂元首相のエピソードも思い起こされますが、安易に命を賭けるといったことをすべきではないものの、多くの人々の負託に応えるべき枢要な地位を占める人は、時には自らの身命を省みずその職に殉じるべき場合があるのではないかと思います。また、それだけの覚悟が持てない人は、多くの人々の負託に応えるべき枢要な地位には就かず、自分のことだけ考えて、おもしろおかしく生きて行くべきでしょう。
「職を賭して」と、さも重大な決意があるかのようなことを口にし、その舌の根も乾かぬうちに突如として政権を投げ出し、多くの人々に多大な迷惑をかけ大混乱に陥れたまま、さっさと入院してしまった、首相としても人としても、あまりにも情けない安倍首相を見るにつけ、人間としての真の覚悟とは何か、ということを、改めて考えさせられます。