みのと大沢が激論「弁護士は被告のため最大限主張すべきか」

http://www.j-cast.com/tv/2007/09/12011204.html

みのもんたは気に入らない。「月日が経つと、弁護もしたくなる、罪も軽くしたくなる。あらゆる手を打ってくる。やむをえないことですか」とストレートだ。
大澤は「それが裁判というものです。主張すべきものは主張して、裁判官がそれを判断するというシステムですから、これは理解してもらいたい」

私の場合、最初は検事をやり、その後に弁護士になって現在に至っていますが、検事をやっていると、法廷に出す証拠も出さない証拠もすべて見て、事件の実態はかなりつかめるので、そういう立場から弁護活動を見て、馬鹿げた主張、荒唐無稽な主張、あまりにも独りよがりな主張等にあきれたことはよくありました。ただ、そういった無理な主張、立証が裁判所によって採用されることは、通常はあり得ません。一蹴されて終わってしまうものです。
弁護士になって感じるのは、検察官のようにあらゆる証拠が見られるわけではなく、基本的には法廷に出される証拠しか見ることができない上、ここはこういう主張、立証をしたい、といった被告人の希望、意向は、弁護活動に最大限反映させる必要があり、その中で、どうしても、裁判官や検察官から見た場合に、無理な主張、立証、といったことが起きてくる場合もある、ということです。そういった無理な主張、立証に、国民の批判が集中することがあるのも、開かれた民主社会ではやむをえないことではありますが、検察官が攻め弁護人が守り、最終的には裁判所が公平な立場から判断を下す、という対審構造においては、攻める役割だけでなく守る役割というものも必要であり、裁判はゲームではないものの、プレーヤーがいないとゲームがはじまらない、ということと似ている面もあって、そういった役割そのものを否定するような議論をされても困ってしまう、というのが率直な感想です。