「ネットに匿名性は不可欠」――総務省

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0507/01/news059.html

報告書の中で、ネットの実名利用について触れたのはこの1カ所だけ。報道されたような「ネットの実名化を推進する」「ネットの“悪の温床”化を防ぐ」といった内容の記述はなかった。

だから、一連の批判は、報告書を読まない者の的はずれなもの、誤解に過ぎない、と持って行きたいようですが、本当にそうなんでしょうか?
再度、問題の共同通信のニュースを見てみましょう。

「実名でのネット活用促す 総務省「悪の温床」化防止」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050627-00000032-kyodo-bus_all

この記事で、「方針を固めた」のは「総務省」となっています。文部科学省などと具体策を詰めるという主体も総務省であり、そういった方針を、「今週初めに発表する総務省の「情報フロンティア研究会」の最終報告書に盛り込む。」とされているわけです。この主語も、普通に読めば総務省でしょう。
普通の日本語能力を持つ人が、この記事を素直に読めば、総務省がそういう方針で進めて行くことにして、報告書(こういった報告書の作成の在り方を少しでも知っている人は、会のメンバー「だけ」で作成されるものではないと容易にわかるでしょう)にもそれを盛り込もうとしていると、当然読みます。だからこそ、厳しい批判が噴出したのが実態です。
それを、「報告書はそういう趣旨ではない」とすることによって、巧妙な論点のすり替え(「総務省の意図」が「報告書の趣旨」の問題にすり替わっています)が行われ、総務省はそんなことは考えていない、とさりげなく言いつつ、一連の批判を、「報告書に対する誤解」という方向へ持って行くことで、沈静化を図ろうとしているのが、この総務省課長補佐の発言であると私は考えます。一種の詭弁ですね。
もし、本当に総務省が「ネットに匿名性は不可欠」と考えているのであれば、上記の共同通信の記事は、明らかに「誤報」であり、当然、厳重に抗議するなどして謝罪、訂正を求めるべきですが、そういった動きがあった形跡は何らありません。そういった動きがないこと自体が、総務省の真の意図が匿名性の排除にあることを示していると言えるでしょう。
ITmediaの記者(岡田有花・・・どこかで聞いたような名前ですね)も含め、上記のような巧妙な論点のすり替えに幻惑された方が少なくないようですが、落ち着いてよく考えてみたほうが良いと思います。

追記:

いろいろな見方があると思いますが、こういった「研究会」は、あくまで、それ自体として議論や意思決定をするのが「建前」です。ただ、実態は、そのような単純なものではなく、省庁がやりたいことにお墨付きを与えるためのものであったり、省庁がこれからやりたいことについてアドバルーンを上げてみるためのものであったり、極端な場合は、腹話術の人形に過ぎなくて実際にしゃべっているのは省庁そのもの、という場合もあり得るでしょう(特定のどこかを指しているわけではないです)。
そういった実態を踏まえると、こういう見方も十分できるのではないか、というのが、このエントリーの趣旨です。そうではない、という反論は、もちろん歓迎します。

全日空 制服4着分、盗難届 CM撮影で紛失

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050702-00000007-maip-soci

この記事で、制服の紹介のため使われている写真は、言わずと知れた伊東美咲のものですが、何となく伊東美咲が盗まれてしまったようで、悲しい気分になりますね。
2・26事件の際の「兵に告ぐ」ではありませんが、不心得者は、今からでも遅くないので持ち去った物を早く返還すべきでしょう。

<橋梁談合>道路公団ルート、強制捜査当日にも「談合」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050702-00000010-mai-soci

この中には、国土交通省ルートで、検察当局が業界各社への家宅捜索に踏み切った5月23日に実施された「東北中央自動車道・刈安高架橋」(山形県米沢市)や、営業担当幹部14人を逮捕した同26日にあった「阪和自動車道・芳養(はや)川橋」(和歌山県みなべ町田辺市)など4回の入札が含まれる。

談合することが生活の一部になっていて、食事をしたり歯を磨いたりすることと同様なものになっているんでしょうか。
こういった規範意識が鈍麻した人々は、小菅あたりでリハビリの必要があるのかもしれません。ただ、組織の一員として、やむをえず「やらされている」面もあるはずですから、「やらせている」組織の責任こそが、徹底的に追及されるべきでしょう。
上層部の引責辞任程度でお茶を濁して済む問題ではないし、検察庁も、それで安易に一件落着とするべきではありません(一つのパターンとしてありがちな処理ではありますが)。

新任検事の頃

時々見に行く新任判事補のブログで、仕事上、何かと苦労している様子がうかがわれ、自分が新任検事の頃のことが思い出されることがある。
今でもあまり仕事ができるほうではないが、新任検事の頃は、思い出したくもないような苦い思い出が多く、そういうことに限って覚えているのが始末が悪い。
その後、徐々に仕事がこなせるようになって、何とか現在に至っているが、なぜ、やることなすことうまく行かなかったかと言えば、

1 一通りの法律知識はあるが、実務に即した知識ではないため、現実の事件処理等に生かせない
2 実務上、定着、確立している手続、書式、文章表現などが身に付いていないため、上司等から見て明らかに不十分としか見えない場合が多い
3 若くて未熟なため、いわゆる「報・連・相」(報告・連絡・相談)がうまく行えなかったり、仕事の段取りが悪く、手持ちの仕事がうまく処理できない上、周囲から見ていても危なっかしい

といったことが原因であったと思う。
いずれも、経験を積む中で、自分の頭で考えながら徐々に身につけることができたり、改善が可能なものと言えるが、やはり、人によって能力や適性には差があるので、早期に高いレベルに達する人もいれば(「仕事ができる人」)、なかなか向上しない人(「仕事ができない人」)もいる。
誰もがくぐる関門であり、トンネルの先が見えないだけに辛いものがあるが、最近、日本でも有用性が注目されている「メンター」を、裁判所だけでなく、検察庁弁護士会も含め、ある程度制度化する必要性があるのかもしれない。
私の場合、検事任官後、2年目から4年目の、力がつく時期に、地方の検察庁で、先輩検事からいろいろと指導を受けることができ(一種のメンターのような存在)、今思い出しても大変ありがたかった記憶がある。
そういう人が身近にいない場合は、愚痴を言ったり弱音を吐いたりしているだけでなく、積極的に探し出して指導を仰ぐ、という努力も必要であろう。