韓国ネチズンのマナーは落第点?

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/01/09/20060109000009.html

もっとも深刻なサイバー暴力として、「悪口、言語による暴力などの侮辱」(57.4%)が取り上げられた。続いて「身元情報など、個人情報の流出(47.8%)」「虚偽の内容を流すなどの名誉き損」(35.6%)の順となった。

情報通信部の関係者は、「昨年、サイバー暴力被害をめぐる相談件数が8406件となり、2004年(3913件)に比べ2倍以上増えた」とし、「サイバー暴力を予防するための案内冊子を発行するなど、地道なサイバー暴力抑制に向けた活動を展開していく計画」と述べた。

韓国でも、問題状況は日本と同様のようです。
対策としては、上記の通り、当面、「地道な活動」しかないように思います。

「ネット事業者は周囲の迷惑を顧みずに利潤を追求してもよいのか?」

http://benli.typepad.com/annex_jp/weblogs/index.html

そして、そのような権利侵害を回避するために要したコストは、当該事業者内部で他のコスト削減や利潤の縮小などで対応できない場合には、商品ないしサービス価格の上昇等という形で、当該商品又はサービスの利用者全体が負担することになります。権利侵害回避のために上昇したコストをカバーしきれない場合は、当該商品又はサービスを提供する事業は通常は断念されることになります。

この辺の認識について、一般論としては私も賛同しますが、「インターネット」ということになると、話が少し違ってくるのではないか、というのが、現在の私の実感ですね。
インターネットというものは、誰でも手軽に情報発信ができ、また、情報を受けることができるという「利便性」が本質であり、だからこそ、ここまで爆発的に普及し、その勢いはますます強くなっている状況にあると思います。「手軽」を支えるのは、「安価」ということでもあります。現在、インターネットを利用していろいろな情報を発信してビジネスに結び付けるということが実現し、また、実現されようとしていますが、「手軽」「安価」といったことが崩れてしまえば、インターネットの利便性は著しく減殺されて、その発展は望めなくなってしまう可能性が高いと思います。
手軽さは、一方で悪用の容易さにもつながります。各種の誹謗中傷とか、わいせつ情報の発信などは、その典型です。インターネットの悪用についても、できる限りの対策が講じられなければならないことは、言うまでもないことです。
ただ、悪用対策に熱心になるあまり、インターネットの利便性を大きく減殺する方向で行き過ぎれば、大多数の善良な利用者が、多大な不便を強いられ、インターネットに背を向けてしまいかねません。現状の悪用対策における困難さの根源は、おそらく、ここにあるのではないかと私は考えています。
例えて言えば、自動車事故を激減させるために、「速度は20キロまでしか出してはいけない。」という法律を作り、徹底的に取り締まれば、事故も死傷者も激減することは間違いないでしょう。ただ、そうなれば、自動車の利便性の中の非常に重要な部分がなくなってしまうことになり、日常生活に多大な支障が出てしまうでしょう。そういう状態を、国民が望んでいるとは思えませんし、インターネットについても、同様のことが言えるのではないかと思います。インターネットの匿名性が、いろいろな悪用事例につながっていることは事実ですが、匿名で情報を発信している人々のなかでも、悪用している人はごく一部のはずで(数値は出ませんが、「相当数を占める」とは言えないでしょう)、大多数の人は、悪用に至らない状態の中で匿名性を大なり小なり利用しているというのが現状だと思います。そういった現状を、「権利侵害防止」のため、匿名性を徹底的に排除する方向で変革しようとすれば、多大な不便を感じる人はおそらく多いはずです。
権利侵害防止のためには、インターネットの利便性を大きく損なってもよい、そのためのコストは事業者が負担し、負担しきれなければ利用者に転嫁し、それも無理なら事業を断念すればよい、という議論を、公権力や法規制が後押しすることになれば(現実にそういう傾向が随所に見られることは改めて言うまでもないでしょう)、我々は、インターネットという非常に魅力ある手段を失いかねませんし、そうなった場合にほくそ笑むのは誰か、ということも念頭に置きつつ、議論を展開する必要があると感じます。

「ネットに匿名性は不可欠」――総務省

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0507/01/news059.html

報告書の中で、ネットの実名利用について触れたのはこの1カ所だけ。報道されたような「ネットの実名化を推進する」「ネットの“悪の温床”化を防ぐ」といった内容の記述はなかった。

だから、一連の批判は、報告書を読まない者の的はずれなもの、誤解に過ぎない、と持って行きたいようですが、本当にそうなんでしょうか?
再度、問題の共同通信のニュースを見てみましょう。

「実名でのネット活用促す 総務省「悪の温床」化防止」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050627-00000032-kyodo-bus_all

この記事で、「方針を固めた」のは「総務省」となっています。文部科学省などと具体策を詰めるという主体も総務省であり、そういった方針を、「今週初めに発表する総務省の「情報フロンティア研究会」の最終報告書に盛り込む。」とされているわけです。この主語も、普通に読めば総務省でしょう。
普通の日本語能力を持つ人が、この記事を素直に読めば、総務省がそういう方針で進めて行くことにして、報告書(こういった報告書の作成の在り方を少しでも知っている人は、会のメンバー「だけ」で作成されるものではないと容易にわかるでしょう)にもそれを盛り込もうとしていると、当然読みます。だからこそ、厳しい批判が噴出したのが実態です。
それを、「報告書はそういう趣旨ではない」とすることによって、巧妙な論点のすり替え(「総務省の意図」が「報告書の趣旨」の問題にすり替わっています)が行われ、総務省はそんなことは考えていない、とさりげなく言いつつ、一連の批判を、「報告書に対する誤解」という方向へ持って行くことで、沈静化を図ろうとしているのが、この総務省課長補佐の発言であると私は考えます。一種の詭弁ですね。
もし、本当に総務省が「ネットに匿名性は不可欠」と考えているのであれば、上記の共同通信の記事は、明らかに「誤報」であり、当然、厳重に抗議するなどして謝罪、訂正を求めるべきですが、そういった動きがあった形跡は何らありません。そういった動きがないこと自体が、総務省の真の意図が匿名性の排除にあることを示していると言えるでしょう。
ITmediaの記者(岡田有花・・・どこかで聞いたような名前ですね)も含め、上記のような巧妙な論点のすり替えに幻惑された方が少なくないようですが、落ち着いてよく考えてみたほうが良いと思います。

追記:

いろいろな見方があると思いますが、こういった「研究会」は、あくまで、それ自体として議論や意思決定をするのが「建前」です。ただ、実態は、そのような単純なものではなく、省庁がやりたいことにお墨付きを与えるためのものであったり、省庁がこれからやりたいことについてアドバルーンを上げてみるためのものであったり、極端な場合は、腹話術の人形に過ぎなくて実際にしゃべっているのは省庁そのもの、という場合もあり得るでしょう(特定のどこかを指しているわけではないです)。
そういった実態を踏まえると、こういう見方も十分できるのではないか、というのが、このエントリーの趣旨です。そうではない、という反論は、もちろん歓迎します。

実名でのネット活用促す 総務省「悪の温床」化防止

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050627-00000032-kyodo-bus_all

国内のネット人口は増加する一方だが、匿名性が高いために自殺サイトの増殖や爆弾の作製方法がネットに公開されるなど、犯罪につながる有害情報があふれている。総務省はそうしたマイナス面を排除し、ネットを経済社会の発展につなげていくためには、実名でのネット使用を推進し、信頼性を高めることが不可欠と判断した。

私自身の「匿名性」に関する考え方は、本ブログで既に明らかにしている通りで、現時点で、特に付け加えることもありませんが、総務省が旗を振ってこのようなことをして、どれほどの意味があるのかと、非常に懐疑的になりますね。
「悪の温床」などと言っていますが、利用しやすいものは悪用もされやすい、ということに尽き、悪用されやすさを制限することは、同時に、利用しやすさを制限することになります。
この記事では、「匿名性が低いとされるブログ」などと間抜けなことを言っていますが、ブログ上での発言に「実名」を義務づけたりすれば、現在の爆発的なブログ人気は望むべくもないでしょう。また、内容も、実名で書ける当たり障りのないものにとどまって、おもしろくもおかしくもない、というものになりかねないと思います。
本当に、こういった取り組みを本気でやりたいのであれば、全世界的に、同時に行わないと、総務省が「悪の温床」などと言っているものが(私は「悪の温床」とは思っていませんが)国外へ広く拡散して行くだけのことでしょう(元々国外にあるかもしれません)。
有害情報に対する取り組みにしても、この記事にある匿名性の制限にしても、総務省がインターネットについて思い描いているビジョンが不明で、インターネットに無知な政治家に突っつかれて、場当たり的に、その場しのぎの施策を打ち出しているとしか見えません。
この記事は共同通信配信ですが、インターネットに対して無知(「匿名性が低いとされるブログ」などと書くこと自体が無知そのものでしょう)のまま、総務省からもらった情報を世間に垂れ流している暇があったら、匿名性についてきちんと考えるべきでしょう。汐留の小綺麗な建物に入って浮かれているうちに、世間の姿が見えなくなってるんじゃないですか?>共同通信

インターネット実名制めぐり再度論議沸騰

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/06/15/20050615000077.html

韓国での状況が紹介されています。日本同様か、それ以上に議論が沸騰しているようです。

参与連帯や進歩ネットワークセンターなどは「サイバーテロを加えるのは一部のネティズンであるにもかかわらず、これを全体に拡大し、実名制を強制するのは許されない」との立場。
これとは反対に「不便であったとしても、成熟したインターネット文化を創出するためには仕方ない」(ネイバー、ハンドルネーム「gkfn96」)という賛成意見も少なくない。

この問題は、いろいろな切り口が可能ですが、一つの見方として、我々がどういった社会を望むのか、ということがあると思います。
一つは、自由が原則で、言いたいことが言えて、やりたいことが自由にでき、そういった自由の中に、匿名による発言も含まれている社会でしょう。もちろん、何をやっても良いわけではなく、事柄の性質に応じて一定の制約はかかってきますが、自由が尊重されますから、制約はあくまで例外的、限定的です。
もう一つは、平穏とか安全といったことが重視され、そのためには自由が制約されるのは当然、という社会です。基本的に不自由な社会と言い換えても良いでしょう。街を歩けばあちらこちらに防犯カメラ、車で走ればNシステムで捕捉、発言する場合は匿名は許されない、知らない子供には声をかけてもいけない、自らの主張を知ってもらうために集合住宅の敷地に足を踏み入れただけで逮捕、起訴される、といったことが常態化すれば、確かにいろいろな違法・不当行為は起きにくくなるでしょうし、平穏、安全な社会は実現できそうです。しかし、社会の活気は失われ、崩壊したソ連・東欧諸国のような、閉鎖的で、相互が常に監視しあっているような暗い社会になりそうです。
上記の社会は、一種のモデルであり、現実には、いろいろなバリエーションがあり得ると思いますが、一つの見方として、こういったものもあるのではないかと思います。

「プロバイダ責任制限法の改正に向けてのメモ(1)」について

http://benli.typepad.com/annex_jp/2005/06/post_3.html

なかなか興味深い見解ですね。
最近、本来はイラクアフガニスタンで行われているはずの戦闘が、突如として六本木交差点で勃発するような事態が生じていて、ちょっと戸惑っています(苦笑)。戦っている人々の真剣さは理解できますが、発言には、発言にふさわしい場というものがありますから、やはり、注意が必要だと思いますし、そういったことをわきまえずに発言すると、せっかくの発言が顧みられず、発言者自体の資質も疑問視されることになりかねないでしょう。
上記のエントリーについては、今後の展開も見つつ、いずれ、私なりの感想も述べたいと思っています。