この前に、
を読んでおもしろかったので、淀殿について評伝を通しで読んでみようと思い、前から持っていて読んでいなかったこれを通読してみました。
史料が丹念に参照され、淀殿の、史料に基づいた人物像のようなものが描き出されていて、淀殿を見ていく上の1つの基準点のようなものが得られた印象を受けています。
豊臣秀吉亡き後、特に関ヶ原の戦いの後、秀吉が残した五大老・五奉行体制が崩れた後には、淀殿が豊臣家内で大きな影響力を持ったことが理解されましたし、滅亡へと進んだ、その進路を決定づけていたのも淀殿であったろうということも感じられました。
室町幕府、織田信長、豊臣秀吉と、支配力あるものが、それまでの支配者を乗り越えてきた流れからすれば、豊臣秀吉亡き後を継ぐのは徳川家康でしかなかったと言えるでしょう。それは当時の人々の認識としても、大きく共有されていたのではないかと思います。その流れに抗して無理に君臨しようとした、その誤った判断の背後にあったのは、淀殿の誇りであり譲れないものがそこにはあったということを強く感じました。
今後は、
を、順次読んでいきたいと考えています。