http://jp.reuters.com/article/2015/08/19/bangkok-idJPKCN0QO0RL20150819
ソムヨット国家警察庁長官は20人以上が死亡した事件の捜査状況について「1人だけに絞らず、容疑対象を広げている」と会見で述べた。タイ人が関与しているのは確実だが、タイ人のみか外国人も関与しているかは断定できないとした。
私は、1995年(平成7年)に発生した警察庁長官銃撃事件の、東京地検公安部側の、初期の捜査陣の中にいて、その事件の教訓として感じることは、この種の事件で、当初から、犯人はこれだと決めつけるのは禁物だと考えています。
刑事捜査と公安捜査の大きな違いは、刑事捜査では、事件発生後に、それまでの予備知識があっても基本的に白紙に絵を描くように、様々な可能性を想定しつつそれらを徐々に絞り込みながら捜査を展開するのに対し、公安捜査では従来の内偵、監視、分析等による豊富な情報から、当初から犯人について見通しをつけて捜査を展開しがちということでしょう。公安事件の場合には犯行声明が出ることも多く、それに沿って捜査を展開することは一定の合理性がありますが、出ないこともあり(今回のタイでの爆弾事件でも今のところ出ていません)、とはいえ、公安当局は、犯行声明が出ていなくても、豊富な情報から、この筋、この線だと決めつけ動きがちです。それが当たっていれば劇的な解決を見る、ということにもなりますが、人間のやることですから見込違いで大きく外してしまうこともあります。上記の長官銃撃事件がそうだったと決めつけるつもりはありませんが、振り返ると、オウム以外の筋、線を排除せず刑事的な捜査を積み重ねていれば、という反省は大いにあり得るところでしょう。
タイの爆弾事件も、タクシン派ではないかとか、民族対立が背景ではないかとか、とかく目立つところに目が向きやすくなりますが、例えば、爆弾事件前後の株価、為替の変動で暴利を得ようとする勢力による「経済テロ」といった可能性もにわかには排除できないものがあり、予断を持った捜査は禁物だろうと感じるものがあります。