集団的自衛権行使で想定、「米艦で邦人救出」米拒む 過去の交渉

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11192419.html?ref=nmail

97〜98年の交渉や法案づくりに関わった当時の政府関係者によると、米軍が海外の自国民らを救出・保護する作戦では、国籍による4段階の優先順位があるという。「米国籍、米国の永住許可証の所有者、英国民らが優先で、日本人は最後の『その他』に位置づけられていると説明された」
朝鮮半島からの日本人救出をめぐる日米の協議は、その後も進展していない。首相ら政府は年内に集団的自衛権の行使容認を決める前提で、米国とガイドラインの再改定交渉に臨む方針だ。しかし、政府関係者は「再改定の主要なテーマにも邦人救出は入っていない」と語る。

まずは、「米艦で邦人救出」という事態について米国と協議して手順を決め、その検討の中で、米艦防護という事態が生じる可能性や米国の要請も踏まえて、足りないものがあるか、それは何かと検討するのが筋、実務ではないかと思います。
それは、例の、「他国を狙ったミサイルが日本上空を通過」という想定にも通じるものがあり、そもそも、日本がそれに対して現実に何ができるかを明確にした上で(対処できることはないようですが)、議論が進められるのが筋、実務というものでしょう。
結局、集団的自衛権に関する議論は、机上の空論やそれに近いもの、絶対に起きないとまでは言えないが起きる可能性が低いものを、集団的自衛権が行使できるようにすること自体を目的化してあげつらう、という、不毛なものになっている点に大いに問題があると思います。
また、そもそも、法解釈に関する議論は、下位に位置づけられる法令について、従来の解釈の検討、見直しを行い、それでまかなえなければ、次第に上位の法へと及ぶ(その頂点が憲法)というのが基本で、従来の解釈の検討、見直しを十分に行わないまま、いきなり最上位の憲法について、従来の解釈を180度転換する(それも政府が長く一貫して主張してきたものを変える)というのも、法治国家として異常なものがあります。日本はもはや法治国家ではなくなりつつあるのかもしれませんが。
わいわいと騒げば事態が好転するものでもなく、今の日本が現実に直面している危機は何なのか、大変だ大変だと騒ぐこと自体が緊張を高め自分たちを追い込んでいないか、といったことも冷静に考えてみる必要を感じます。