「法律家として悲しい」集団的自衛権の憲法学者があきれるずさんな議論〈週刊朝日〉

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140612-00000001-sasahi-pol

これまで政府は内閣法制局の意見に従ってきました。それは彼らが優れた顧問弁護士だったからです。ところが今回は「違憲でもやる」という雰囲気です。メディアも「寝た子を起こす」と、改憲の必要性に触れる報道が少なかった。全てが不誠実と言わざるを得ません。

自主憲法制定は、自由民主党結党以来の「党是」ですが、歴代の自民党総裁、首相は、憲法による軍事面での制約についても、よくわきまえていたと同時に、憲法上の制約を主張、堅持することで、米国の軍事戦略の中に巻き込まれ「先兵」「走狗」となることを巧みに防止してきたことも見逃せないと思います。日本は何もしてこなかった、と言う人がいますが、専守防衛を旨とし、アジアの緊張を高めることなく、日米安保体制を堅持しつつ、絶妙なバランスの中で平和と安定を保ってきた、という見方も十分可能でしょう。何もしてこなかった、のではなく、すべきではないことはしなかった、為すべきことはしてきたのがこれまで、と私は見ています。
確かに、中国、韓国との関係が従来より悪化して緊張が高まったり、北朝鮮情勢が混沌、不透明な状況にはありますが、では、従来の憲法解釈をねじまげてまで、日本が米国の軍事戦略に積極的に乗り出して協力しなければ国の平和や安定が保たれないのか、と言えば、大いに疑問ですし、現在の政府や自民党も、そこを、一種の「煽り」「釣り」レベルでしか説明しないため、議論が根底から胡散臭くなっている、私はそう感じています。
おそらく、集団的自衛権を肯定しろとか、これからは積極的平和主義だとか、そういうことを声高に言っている人々は、現行憲法制定経緯やそれに基づく戦後日本の在り方に、国家主義的な観点から大きな不満を持っているのでしょう。そういう考え方を持つことは自由ですし、議論は大いに行われるべきだと思いますが、不満が高じるあまり、立憲主義の本質、すなわち、憲法により国家権力に縛りをかける、その点を、一時の人気やムードで踏みにじろうとする動きには、非常に危険なものを感じざるを得ません。
今こそ、日本国憲法の下で平和と安定を築いてきた戦後日本の歩みを冷静に振り返るとともに、その急激な変更が、憲法解釈を無理にねじまげてまで行われることの危険性にも、目が向けられなければならないでしょう。