「裁判員の判断尊重を」犯罪被害者の会が決議

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140125/trl14012517580001-n1.htm

決議は、東京高裁が昨年6月と10月、一審裁判員裁判の死刑判決を破棄し、無期懲役としたケースを「裁判員制度の否定」と批判。「一般市民の感覚を反映した量刑判断を軽々に覆すべきではない」と指摘した。

昔、法学部で憲法を勉強し始めた頃、国民の代表者からなる国会で成立した法律が、なぜ、民主的基盤を持たない裁判所に与えられた違憲審査権で無効化されるのか、民主主義に反するのではないか、といった素朴な疑問を持ったものでした。
その後、勉強する中で、裁判所というのは「法原理機関」であり民主主義を守るためにその法原理性を発揮すべき立場にある、特に、少数者の人権や民主主義を支える表現の自由のような権利を守るためには積極性を発揮しなければならない、といった考え方を学ぶようになって、疑問がやや解けたような気がしたものでした。
裁判員制度の趣旨、意義からは、その判断は十分に尊重されなければならないと思いますが、人の生命に関わる死刑という究極の刑罰に関し、裁判員の判断が重すぎて不当であると上級審の裁判官が判断すれば(その前提として従来の裁判例や量刑事情の認定などにつき慎重な検討が必要であることは当然ですが)、そこは一種の安全弁のような役割を果たさなければならないのではないか、と思います。人の命は、社会を支える根源的な存在であることに思いが致されなければならないでしょう。
裁判員が、誤ることのない、無謬な存在であるかのように過剰に奉ってしまうことは、裁判員のためにも国民のためにもならないのではないか、と感じます。