http://www.jiji.com/jc/zc?k=201307/2013072400530&rel=y&g=soc
被告は当初容疑を認める供述をしていたが、5月に処分保留になった後は「自分がやったかどうか分からない」と話しているという。
不起訴処分を受け、被害者の遺族は今月中にも、検察審査会に審査を申し立てる考えを明らかにした。
供述内容と遺体の位置などが一致せず、事件前後の足取りも裏付けが取れなかった。また、被告が供述する複数の動機に不自然な点があるほか、被告が週刊文春に送ったとされる犯行を認める文書入りのCD−Rについても、記録日時などに矛盾があったという。
過去に、冤罪とされたり、無罪になったような事件で、自白以外にさしたる証拠がない、秘密の暴露や客観的な裏付けがない、というものはかなりあります。そうした証拠構造の事件では、自白の信用性が厳しく問われることになりますが、客観的な状況と矛盾していたり裏付けができない、ということになると、自白の信用性に重大な疑問が生じ、他にさしたる証拠がない以上、無罪、ということになってしまいます。本件でも、おそらく、そのような証拠構造、証拠上の問題があり、富山地検は、これでは公判が維持できず有罪判決は獲得できない、と判断したのでしょう。妥当か妥当ではないかは、直ちに判断できないものの、報じられるところから推測される事情に照らすと、あり得る判断、ということは感じます。こうなってしまったことについては、放火されていて現場における証拠収集ができなかった(燃えてしまって)ということも、おそらく大きく影響しているでしょう。
今後については、捜査当局が継続捜査をして、新たな証拠を確保して起訴に持ち込むという方法と、検察審査会で起訴相当議決が出て強制起訴へ持ち込まれるという、2つの道があります。前者は、既に徹底した捜査が行われている以上、相当困難でしょう。それに比べて、後者は、ある程度の可能性はありますが、既に、被疑者の供述は、自分がやったかどうかわからない、といったものに後退していると報じられていて、起訴されれば否認事件になる可能性が高く、そうなった場合、かなり事実認定が難しい裁判員裁判になることは確実でしょう。