http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121020-00000010-asahi-soci
神奈川県警は、取り調べ中の捜査員の発言について調査中だが、現段階では「誘導は確認されていない」としている。上申書についても「大学生が書いた」として、捜査手法に問題はなかったとの立場を変えていない。
やってもいない人について、自白調書が作成されている以上、自発的に具体的な供述ができずはずもなく、取調官が、手持ちの資料を見せつつ強烈に誘導しない限り、上申書も含め、作成されたはずがなかったでしょうね。
警察で作成される上申書は、その多くが、取調官が下書きを予め作成していたり、取調官の「誘導、指導」のもとで被疑者が下書きをして、それに基づいて(その過程で捜査機関にとってまずいことは書かないように取調官が「誘導、指導」します)、清書して作成するものです。取調べが可視化されていない現状では、その過程が記録に残らないため、出来上がった(清書された)書面しか残らず、上記のように、捜査機関側は被疑者が自発的に書いた、と強弁するのが普通です。しかし、やってもいない人が上申書を書いて犯行を認めていること自体が決定的におかしなことで、「捜査手法に問題はなかった」で済む問題ではありません。
一旦、ストーリーを作り上げてしまうと、それを検証しようともせず暴走し虚偽自白ももぎとってしまう、という、「特捜部型」の捜査が、正にウイルスのように捜査機関全体をむしばんでいる、可視化されていない取調べが、そのような捜査を温存し次々と冤罪を生んでいる、ということが、一連の事件を契機に、より明らかになったと言えるでしょう。