本能寺の変から430年 「敵は本能寺にあり!」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120610-00000509-san-soci

実際のところは信長への遺恨と天下への野望がない交ぜになっていたというのが本当のところではないだろうか。

本能寺の変については、私も以前から興味があり、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20081102#1225627475

といったコメントをしたことがありますが、なぜ明智光秀がこの変を起こしたか、については、いろいろと本も読んでみて、中世的な価値観を重視していた光秀が、旧来の制度を破壊し天皇まで蔑ろにしようとしていた(少なくとも光秀にそう感じられた)信長を葬って阻止しようとしたことや、当時の有能な武将であった光秀に天下獲りへの強烈な野望が、信長が無防備な状態で本能寺に滞在しているという状況で芽生えたからではないかと考えています。それに加えて注目すべきは、変が起きた当時、信長配下の軍団が四国出兵を目前にしていて、明智家や有力武将の齋藤利三との関係が密接であった長宗我部氏が窮地に陥りつつあったことで、それも、この変が起こされる上で影響した可能性が高いでしょう。上記の記事で取り上げられている「遺恨」説は、広く流布されていますが、これだけの変を起こすようなものがあったとは考えにくく、私は取りません。
本能寺の変は、奇襲というものをや、奇襲を招く油断といったことを考える上でも、格好の材料であり、今後も、様々な教訓を生み出しつつ、歴史の中で一種独特の光芒を放ち続けるでしょう。