<麒麟がくる>光秀と信長の「不思議な友情物語」終幕 「太平記」から30年…脚本・池端俊策「歴史は繰り返す」

<麒麟がくる>光秀と信長の「不思議な友情物語」終幕 「太平記」から30年…脚本・池端俊策「歴史は繰り返す」(MANTANWEB) - Yahoo!ニュース

脚本を手掛けた池端俊策さんは、「光秀は信長を殺したくて殺すわけでもなく、憎らしいから殺すわけでもありません。やむを得ず、自分の親友を殺したんです」と位置づけると、「ここまで一緒に歩いてきて、一緒に夢を語った相手を殺すのはつらいですから、本能寺で信長を殺しても『やった!』という快感ではなく、悲しさがありますし、大きな夢を持った人間は、やはり大きな犠牲を払わなければならない。その心の痛みを描きました」と振り返った。

 先日、永青文庫で開催されていた

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を見学に行って、織田信長明智光秀に宛てた書状をじっくりと見たのですが、明智光秀は余程に有能だったと見え、信長は大きな権限を与えて困難な仕事を任せ、それに対し光秀も大いに応えていて、信長の強い信頼があったことを感じました。本能寺の変という結果から、とかく両者の確執がクローズアップされがちですが、本能寺の変があった年の正月に、光秀が信長の書を飾りつつ茶会を催していたことからも、変の直近まで両者はそれなりに良好な関係にあったと推測されます。

だからこそ、本能寺の変の動機が謎とされるわけですが、私自身は、やはり、光秀として、信長の専横を阻止し、より良き天下を実現したいという、戦国武将としての意欲、気概が大きく作用したのではないかと感じています。その意味で、麒麟がくる、というドラマの題名、コンセプトは適切だったと思いますし、そういった光秀の思いや迷い、最終的な決断といったことが、ドラマでは限られた時間の中でうまく描かれていた印象を持ちました。

ドラマでは、光秀が死んでいなくて生きているのではないかと匂わせつつ終わりましたが、山﨑の合戦後に敗死したかどうか、リアルな生死を問題にしたというよりも、人は常に光秀のような葛藤の中にあり、光秀が持っていた意欲や気概、天下を平かにし民を安んじるという夢や目的といったことは、不滅であり多くの心ある人々の中で生き続けるのだ、あなたたちの心の中で明智光秀は生きているのだという、そういうメッセージが込められているように、私には感じられました。