ヒマラヤ杉に降る雪

かなり前に公開された作品で工藤夕貴が主演し、作品のクオリティも高いということで、当時、かなり評判になっていたことが思い出されます。久しぶりに観た、つもりでいたのですが、前に観た、という、中身に関する記憶が、観終わっても蘇らず、観たつもりでいただけかもしれません。いずれにしても、やはり優れた作品だな、と観終わって感じました。
(以下、ネタばれ注意)
作品中で、裁判長が、パールハーバーがあってから9年と言っているので、1950年頃のアメリワシントン州の港町に住む漁師が、出港中に船から転落し溺死体で発見され、殺人事件と判断されて(その経緯がこの作品では飛ばされているのですが)、死亡者とのトラブルを抱えていた日系人の青年が起訴され陪審裁判を受けることになります。日本や日系人(戦時中の強制収容の悲惨な状況も紹介されます)への根強い敵意や偏見、検事が悪意を持ちつつ状況証拠による立証を丹念に行いそれになかなかうまく反論できない被告人や弁護人の苦悩が、「ヒマラヤ杉に降る雪」という題名に現れているように、ワシントン州の恵まれた自然環境を随所に配しながら淡々と描かれます。これは有罪ではないか、と思われていたところに、被告人の妻(工藤夕貴)とかつて交際し愛し合っていたものの戦争でその仲を引き裂かれ、今でも愛している青年が、地道な調査を行い(これには、弁護士をやっている私も頭が下がるような素晴らしいものでした)、殺人事件ではなく事故である、という決定的な証拠を発見して、被告人は無罪になります。状況証拠による立証の危うさ、脆さや、地域の人々が日系人である被告人に対する敵意、反感を持つ中で、しかも、被告人が有罪になってしまえばかつての恋人とよりを戻せる可能性も出てくるのに、愛を持ち続けつつ、その人の夫を、誤った裁判から救おうとし、成功する青年に、刑事司法というものが、こういう善良な人々により支えられ、また、支えられなければならない、ということや、こういうラッキーな事態に依存せず適正さを担保する制度作りの重要性、といったことを感じました。
他に感じたのは、この作品中の裁判で、決定的な証拠が結審後の判決前に出てくるのですが、担当裁判官(老練そうなベテラン裁判官)が、審理中から訴訟指揮が公平、的確で、結審後の新証拠発見、という事態にも、検事の反対を冷静に排除して、弁論再開(とアメリカで言うのかどうかは知りませんが)を決断し、無罪への道を開きます。陪審制にせよ裁判員制度にせよ、関わる職業裁判官が、的確にその職責を果たすことの重要性を、強く感じました。
裁判とは何か、正しい事実認定とは何か、正義はいかにして実現されるのか、といったことを、日本でも裁判員裁判が行われるようになった今、改めて考えてみるためにも、とても役立つ作品ではないか、ということを強く感じました。