http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110703/trl11070300310000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110703/trl11070300310000-n2.htm
決定では、石川被告が逮捕前日の昨年1月14日の取り調べで検察官から「特捜部は恐ろしいところ。何でもできるところだぞ」と迫られたことで、「強い心理的圧迫」を感じたと断定。この取り調べ後、政治資金収支報告書への虚偽記載を石川被告が認める調書が作成されたが、地裁は今回の決定で任意性を否定した。
さらに石川被告が逮捕後、「小沢元代表に虚偽記載を報告して、了承を受けた」と認めた調書も、検察官から「これぐらいなら書いても小沢さんは起訴にならないから」と説得を受けた上で作成されたと指摘。「硬軟両面からの言辞で調書に署名させた」と結論づけた。石川被告の後任の事務担当だった池田被告が、小沢元代表らとの共謀を認めた調書についても「長時間に及んだ厳しい取り調べの結果」として検察側に問題があったと断定した。
このような取調べは、特捜部の取調べでは日常茶飯事ですが、なぜ、なくならないかというと、こうでもしないとなかなか自白(と言うより、特捜部のストーリーをなぞった、供述したような形になった供述調書、実質的には始末書のようなもの)が取れないし、こういうことをやっても裁判所は任意性をとばさないし、とばせないとなめきっていたから、と言えるでしょうね。そういった傲慢さが、「特捜部は恐ろしいところ。何でもできるところだぞ」といった発言にもよく現れていると痛感します。
先ほど、マスコミの電話取材にも答えたのですが、従来の裁判所の、特捜部の顔色を見ながら、違法・不当な取調べに踏み込もうとせず唯々諾々と供述調書を採用し、検察ストーリーに乗っかって判決を書く、という、情けない在り方が、徐々に変化しつつあり、遂に東京地裁にも、そういった変化の波が押し寄せて来たと言えるのではないかと思います。現在の、特捜部にいる検事のほとんどは、真の意味での「自白」が取れる検事ではなく、上記の記事にあるような、違法、不当な取調べを繰り返しながら、検察ストーリーに沿った、それをなぞった供述調書を作成する、調書作成ロボットのようなものですから、その手段をロボットが封じられれば、路頭に迷うのは目に見えており、お先真っ暗というのが実情でしょう。
捜査の在り方について、根本的に見直すことをせず、無理な取調べを重ねてきたツケを、今、一気に払わされようとしていることに、法務省や検察庁はやっと気付いているでしょうか。