裁判員制度 誕生の経緯は? 「名付け親」松尾浩也東大名誉教授

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090101-00000014-san-soci

松尾さんが話すように、司法制度改革の発端は経済界の要請によるものだった。
規制緩和や国際競争激化を背景に、経済団体が平成6年ごろから法曹人口(弁護士が8割)の増加や民事訴訟の迅速化など利用しやすい司法制度を要求。こうした声にこたえ、自民党「司法制度特別調査会」が10年、政府に審議会(司法制度改革審議会)設置を求めた。
一方、日本弁護士連合会は2年以降、「司法改革に関する宣言」などで、国民の司法参加の観点から「陪審や参審制度の導入検討」を提案していた。自民党も法曹人口の大幅増員となれば弁護士会の協力は欠かせず、“バーター”の意味からも陪審・参審制度を審議会の検討課題に入れた−との見方もある。

要請した「経済界」にはお気の毒ですが、増えているのは弁護士ばかりで、裁判官の増員は遅々として進んでいない上、裁判員制度が実施されることで、経済界に貢献しなければならない貴重な人材が刑事裁判に駆り出されてしまうことになるので、とんだ期待はずれということになりそうです。
多くの人の労力を費やし、貴重な国費を膨大に投じた結果が、現在の惨状ですから、偉大な松尾先生に、

国民がまだ消極的なのは意外ですが、始まれば順調に進むと思います。(参加は)義務と同時に非常に大きな権利を獲得したことになるのですから。

などと言っていただいても、権利が獲得できて良かった、などと思う人は、よほどおめでたい人か、世間や実務を知らない学者、最高裁法務省、さらに日弁連の中の一部の人々程度で、大多数の人はこの記事を読めば、あきれて物が言えない、という気持ちになるでしょう。
それにしても、この論法で行くと、例えば、刑務所に義務として服役すれば衣食住が保障され規則正しい生活ができる権利を獲得する、とか、どこかの国に拉致されてもその国で様々な権利が与えられ行使できる、など、いろいろな物事に「権利性」が発生することになり、今後、嫌がる人に無理矢理何かをさせるときに、一種の詭弁として多用される恐れがありそうです。