【もう一つの京都】(1)本能寺の変 異説飛び交う事件の真相は

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081102/acd0811021813003-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081102/acd0811021813003-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081102/acd0811021813003-n3.htm

資料批判が進んだ近年も、多くの説が唱えられている。信長に追放された足利15代将軍・義昭の黒幕説、朝廷が光秀をそそのかしたとする説、イエズス会政権交代をもくろんだとする説など枚挙にいとまがないが、どの説にも根拠はあり意見の一致をみていない。

本能寺の変に関する本は、興味に従い何冊か読んで、本ブログでも紹介したことがありますが、私は、明智光秀の単なる私怨のようなものが原因ではなく、中世的な社会制度や価値観を否定し斬新な新体制を目指していた織田信長の野望を、否定されようとしていた側に強烈なシンパシーを感じつつ阻止しようとしたことと、明智光秀自身の、強烈な天下取りへの野望のようなものが複合して起きたものではなかったか、と考えています。
犯罪にもそういう面がありますが、こういった変、乱を起こすには、動機だけでなく、チャンスが必要で、その点、中国地方への出陣のためわずかな供回りだけで織田信長が本能寺に滞在し、そのすぐ近くで、やはり出陣を控え大軍を率いた明智光秀が京へ攻め込める状況にあったという、絶好のチャンスというものが、本能寺の変を現実のものにしたことは間違いないでしょう。この機を逃せば二度と再びこのような機会は巡ってこない、と明智光秀が考えたことは想像に難くありません。上記の記事にも出てくるあまりにも有名な、「ときは今あめが下しる五月哉」という句にも、そういった明智光秀の高揚感が感じられるように思います。
私が読んだ本の中では、

明智光秀―つくられた「謀反人」 (PHP新書)

明智光秀―つくられた「謀反人」 (PHP新書)

が、原因を巡る様々な説の整理が丁寧でわかりやすく、特に参考になったという印象があります。