司法試験の成績

法務省に、自分が受けた司法試験成績開示を請求したところ、「保有個人情報の開示をする旨の決定について(通知)」という法務大臣名の文書が送られてきました。「全部開示」とあり、開示可能な情報は全部開示されたようです。
私が受験したのは、昭和60年と昭和61年で、2年目に最終合格したのですが、1年目の短答式試験(結果は合格)の成績は、

憲法23 民法20 刑法21

合計64点となっていて(75点満点)、「短答式成績」が「932」とありますから、おそらく、受験者中、932番であった、ということと思われます。2万数千名の受験者がいたはずですから、大学3年生でこの成績は、悪くはないでしょう。
その後の論文試験(不合格)の成績は、当時、開示を受けた記憶があったものの、成績は正確に覚えていませんでしたが、開示結果を見ると、

憲法A 民法F 商法F 刑法B 刑事訴訟法C 刑事政策B 社会政策F

で、総合はEとなっていました。当時は、1000番までがAで、その後は500番刻みでB、C・・・となっていたはずで、総合で2500番から3000番の間に位置していた、ということになります。科目によっては、初めて答案を書いた、というものもありましたから、まあ、こんなものでしょう。
翌年の、最終合格した年の成績ですが、驚いたのは、短答式試験の成績で、

憲法18 民法16 刑法20

合計54点となっていて(この年から60点満点)、「短答式成績」が「197」とあり、197番であった、ということになるようです。
実は、2年目の短答式試験は、どうも出来が悪かったという感じで、自己採点の結果も良くなく、「もしかしたら落ちたのでは」と、合格がわかるまで不安だったのですが、こうして見ると杞憂だった、ということになります(意外なことに、刑法は満点でした)。
論文試験は、

憲法B 民法A 商法C 刑法A 刑事訴訟法A 刑事政策A 社会政策F

で、総合はAとなっていました。論文合格者は500名弱でしたから、何とかその中には入っていた、ということになります。
憲法と商法は、それぞれ、2問中1問を大きく失敗した、という記憶があり、受験中にかなりショックを受けたのですが、憲法B、商法Cと、何とか致命傷までにはならない程度に食い止めていたことがわかりました。前年度にFであった民法がAになっているのは、意識して勉強した成果が出た、ということであり、刑事系の科目が3科目ともAで、ここで点を稼いで合格圏に何とか食い込んだ可能性があるように思います。1年目の受験から2年目の受験までの間の勉強の状況は、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041030#1099112152

といったものでした。
社会政策は、2年目はヤマがあたった、という記憶があり、それなりにできたと思っていましたが、1年目に続いてFで終わっていて、勉強もしなかったし結果も出ていなかった、ということになります。
なお、口述試験の結果を見ると、合計点が418点、「口述成績」が421となっていて、これは、おそらく421番ということと思われますから(最終合格者は500名弱であったと記憶しています)、かなりの低空飛行で滑り込んだ、というところでしょう。口述試験の出来が悪く、完全に落ちたと思い、親にも「落ちたから、来年、再度頑張る」と告げていたくらいなので、この結果は自分の認識通りです。
論文試験や試験全体の順位が出ているのか、と思っていましたが、それは出ていなくて、ややがっかりしましたが、自分の成績をこうして見ると、当時のことが思い出され、感慨深いものがあります。