「特捜検察vs.金融権力」(村山治)

特捜検察vs.金融権力

特捜検察vs.金融権力

先日、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070116#1168949021

でコメントしましたが、やっと読み終えました。
読んでいる途中で、この本の中でも取り上げられているライブドア事件について、

堀江被告、涙の最終弁論で無罪主張…ライブドア事件公判
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070127#1169861208

といったこともあり、また、先週木曜日の日本経済新聞朝刊「大機小機」で、経済事犯の「厳罰化」を考える、というテーマで、最近の経済事犯厳罰化や、経済事犯の摘発が企業経営者等に深刻なダメージを与えることを指摘した上で、

厳罰化とは、国家により大きな権力を与えることである。厳罰化を進めるのであれば、その前提として、捜査機関・検察官の能力の向上やチェック体制の整備に真剣に取り組む必要がある。捜査機関・検察官は、その裁量権の重さを自覚し、事件選択の公正さについての説明責任を国民に負っていることを肝に銘じてもらいたい。

と述べていたことが、重く感じられました。
以前、本ブログでも、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060703#1151854649

と述べたことがあり、そこでも、

私が問題を感じるのは、特に経済犯罪では、国民としてこういう犯罪は摘発してほしい、逆にこういう行為は犯罪として立件すべきではない、といった民意が、捜査機関による立件等の選択、決断にあたって取り入れられる余地がない、ということです。そういった側面への配慮は、捜査機関の完全な自由裁量に委ねられてしまっていて、上記のアエラの記事にあるような批判を国民の多くが共有していたとしても、それが捜査活動に反映される、という方法が存在しません。これは、小さな問題とは言えないでしょう。

と指摘しましたが、上記の本を読んでいても、ある事件をやる、やらない、といったことが、検察庁における、恣意性と紙一重の、極めて広範囲な裁量に基づいて、しかも、その時々の様々な思惑の中で決められ、結果として、同じような犯罪をおかしていても、ある人は徹底的に摘発され、ある人は不問に付される、といったことが日常的に行われていrことがわかり、大機小機の指摘は、まことにもっともなことである、と強く感じました。
事件選択を含む捜査全般にわたる公正さ、ということは、国民の信頼を確保し不信感を抱かれないためにも、今後とも特捜検察(捜査機関全体の問題でもありますが)の課題であり続けるでしょう。
いろいろと考えさせられる1冊で、こういった分野に興味を持つ人にはお勧めできます。