〈悪口〉という文化(山本幸司)

〈悪口〉という文化

〈悪口〉という文化

昨日、購入し、少し読んでいるところですが、おもしろいと思ったのは、第2章の「悪口祭」でした。
古来から、日本各地で、悪口を思い切り言い合うことが認められた「祭」が存在し、そういった祭が、問題行動を起こした者への社会的制裁機能や一種の秩序維持機能も備えていた、ということが指摘されています。
インターネット上の「祭」が話題になることが多くなっていますが、文化的な側面で見た場合、インターネット特有の悪弊、と単純に決め付けることは危険であり、むしろ、日本古来の文化に根ざした側面、その延長線上にあるという側面も無視できないように思いました。掲示板のようなサービスは、ISPでは「コミュニティ」サービスと言われることが多いと思いますが、そのようなサービスにおけるネガティブな投稿、祭といったものを見る際、コミュニティ、すなわち共同体(インターネット上でのものですが)における、人々なりの(法令により正当化されるかどうかは別として)社会的制裁の発露、秩序維持機能の発揮という側面も、否定はできないように思います。
上記の本では、悪口祭やそれに類似した人々の行動が、国家により次第に禁止されていったことも指摘されていて、行き場を失った人々が、インターネット上において「祭」の場を見出した、ということも言えるかもしれません。さらに言えば、話題の西村氏は、意識してか無意識によってかはわからないものの、そういった祭の場を、自らが大きなリスクを負うことで提供してきた、ということも言えるかもしれません。そういった行動に対し、法に基づいて次第に包囲網が狭まってきているというのが現状と思いますが、「法」は、当然のことながら国家的なものであり、文化的な視点に照らすと、悪口祭が国家により次第に禁止されてきた流れの中に位置づけられる、という見方も可能かもしれないという気がします。
ただ、上記のような悪口祭を支えていた社会的な基盤、共同体の実態、というものが、昔と今では大きく変遷しているのも事実で、インターネット上の「祭」といったものを単に文化的な側面から単純に肯定できないのも、また事実でしょう。
「悪口」というものを考える上で、なかなか示唆に富む内容の本なので、引き続き読んでみたいと思います。