http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070107-00000007-kyt-l26
ボツネタ経由。
捜査段階の調書は「はじめから盗むつもりで店に入った」となっていたが、被告は公判で「買うつもりでレジに行こうとしたが、財布がないのでポケットに入れた」と主張した。普通なら争点になるところだが、あらかじめ「結論」が見えているせいか、検察、弁護側ともあっさりと被告人質問をやめてしまった。
別の窃盗事件の審理では、余罪について取り調べを受けた被告が「朝の5時、6時まで調べを受け、半分寝ていた」と証言し、「言ったら楽になると思って、やってもいないことをベラベラしゃべりました」と続けた。これも通常なら弁護側が捜査手法について激しく追及するはずだが、弁護人は「起訴されていない余罪だった」として争わなかった。
京都地検の幹部は「まだ制度に慣れていない面がある。もし審理の途中で問題が生じれば、通常裁判に移行できる仕組みになっている」と説明する。裁判の儀式化への懸念を示しつつ「短い時間でも的確な質問をするなどの技術を磨く必要がある」と話す。
これを好意的に見るとすれば、最初から「執行猶予」という結論が決まっているため、その結論(刑期を含め)に影響を与えないと思われる点は、審理の中で自ずと整理され取り上げられない、ということなのでしょう。
例えば、殺人事件のような重大事案で、犯意がどの時点で発生したかということは、時には死刑かどうかを左右しかねない重要な争点になりますが、万引き程度の事案で、執行猶予が見えていれば、結論を左右するほどの事情にはならないと思います。また、取り調べに問題があった場合、それが起訴されていない余罪に関するものであっても、起訴事実に関する供述調書の任意性、信用性に影響を及ぼしている可能性もあり、そこを問題にする、ということも通常は大いにあり得ますが、起訴事実自体に争いがなく執行猶予が見えている場合には、そこを敢えて問題にしても結論は変わらない、だから問題にしない、ということにもなる場合があるでしょう。
従来の刑事弁護では、何か問題があれば、重箱の隅をつつくように何でも問題にし、有利な事情を引き出して行く、という手法が主流で、それは一定の成果をあげてきた面もあり、完全に否定されるべきでもないと思いますが、今後は、事案の内容や選択された手続等に応じ、メリハリをつけ、頭を切り換えつつ、何が被告人にとって現実的に利益になるか、といったことを考える必要が、今まで以上に強くなっているのではないか、という気がします。
弁護人としては、真に問題があると判断すれば、漫然と即決裁判手続により進行させるのではなく、速やかに即決裁判手続によることについての同意を撤回するなど、適切な対応をすべきで、そういった対応まですべきかどうかの見極め、ということが大切だと思います。