供述証拠について

コメント欄で、

今後の刑事裁判において、「自白は証拠の王」であり続けるのでしょうか、それとも、供述よりも状況証拠の積み重ねによる立証が中心となってゆくのでしょうか。

というコメントがあったので、若干触れておきたい。
真相を解明する上で、客観証拠、状況証拠といったものを最大限活用することの重要性は、改めて言うまでもないことである。常に、そういった諸点に目配りを怠らないことが、捜査官には求められている。それは、裁判所においても言えると思う。
ただ、自白を含む供述証拠の重要性は、今後も変わることはないと私は考えている。供述証拠がないと、立件すら覚束ないというタイプの犯罪は少なくないし(贈収賄事件など)、残された物証があっても、供述証拠があって、はじめて真相が解明される場合も数多い。
例えば、路上に死体があり、その側に凶器の刃物が落ちていて、着衣に血痕が付着した状態で呆然と立ちすくんでいる男が1人いた、とする。しかし、それだけでは、その男が犯人なのか、あるいは、たまたま通って死体を発見し、介抱しようとしただけなのか(その際に刃物にも触ったのか)、よくわからないはずである。また、犯人だとしても、無抵抗の被害者を一方的に刺殺したのか、逆に被害者から攻撃されて身を守るために刃物で反撃したか、といったこともわからない。そういった事情は、その男や関係者などから、「供述」といった形で聞いて行かないと、ほとんどのことが解明できない可能性が高い。
従来の捜査は、参考人に対しては極力協力を求め、被疑者については、一種のカウンセリングのような手法で、時間をかけ人間関係も作りながら供述を得て真相を解明して行く、という手法で進められてきた。
しかし、犯罪(特に組織犯罪)の激増、権利意識のさらなる高まり、外国人犯罪者の増加など、種々の原因により、従来の手法による真相解明が困難になり、転換点に立っているというのが、現在の状況ではないかと私は認識している。
私は、従来のカウンセリング的な取り調べを全面的に否定するものではないが、今後は、捜査の合理化というものを大胆に推し進めることが必要であると考えており、取り調べ状況のビデオ録画を大幅に導入する一方で、捜査機関が供述証拠を「取れる」手段も確保する必要上、司法取引、刑事免責、といった制度も積極的に取り入れて(もちろん、行き過ぎがないような「歯止め」かけながら)、刑事司法を大きく改革して行く必要性があると考えているところである。
したがって、冒頭のコメントに対する私の答えは、「状況証拠なども重要であるが、供述証拠の重要性も変わらない。」ということになる。