コメントへの回答(その1)

長文のコメントがありましたから、こちらで回答します。

>抽象的にしかものを考えていない方には、なかなか理解が得られにくいところですが、日本の法曹教育において、司法研修所が果たしてきた役割には多大なものがあります。私にしても、小倉先生にしても、他の法曹にしても、司法研修所での教育を経て、社会に出ており、実際に仕事をしてみると、司法研修所での教育はありがたかったな、役立つ教育だったな、と思っている人が非常に多いはずです。

そうおっしゃいますが、まさに上記のような「抽象的にしか表現できない落合さん」のコメントを読んで、理解しろというのが無茶な話です。味わった者にしか分からない、では法曹資格者の驕りです。

「味わった者にしか分からない」ではなく、「なかなか理解が得られにくい」ですね。先ほど、グーグルで「司法研修所」と入れてみたところ、6万8100件、ヒットしましたから、まず、上から1000件くらいご覧になってみてはいかがですか?
既に、私がこのブログで書いてきていることで、司法研修所教育については「具体的に」表現していると思います。このブログの検索機能も、どうぞ利用してください。

>そういった司法研修所制度を存置することが、今後の制度を考える上での前提になっているはずであり、合格者3000名という数字も、その中で出てきているはずです。・・・指導担当者の確保等の問題もあり、これを5000名とかそれ以上にする、ということは至難の技ではないかと思います(可能であれば増加させても良いと思っていますが)。

前提に何があって「はず」「はず」と繰り返されるのか不明です。
世の中には、決め付けた前提からの推論、というのがお得意な人種もいるとは聞いていますが…。その決め付けとは、「司法研修所の教育はありがたかった、役立つ教育だった」とつながるものでしょうか?
何故存置しなければならないのか?その理由を、キチンと一般人の誰にでも分かるように、その「司法研修所のありがたさ」とやらをキチンと「客観的に」論証していただきたかないことには、一方的な決め付けの域を出ません。

下記で引用した意見書はご覧になりましたか?多分、ご覧にならずに、このようなことを言われているのでしょうね。意見書の中では、司法研修所が存置することが前提とされています。「はず」と書いてあれば、「決め付けた前提からの推論」と決め付けること自体が、「決め付けた推論」じゃないですか?
戦後、50年余りの歴史の中で、多数の法曹を教育し、多くのノウハウも蓄積している司法研修所を廃止するという積極的な根拠を、まず先に示すべきではないですか?私は、私なりの根拠を示していますが、コメントの中では、単に疑問が呈されているだけで、そういった点については、何も触れられていませんね。
なお、私が言っているのは、「主張」ですから、それが「決め付け」と言うのであれば、別の根拠を示した上で反対説を唱えられたらいかがですか。