ロースクールに関する議論について思うこと

先日の朝日新聞の記事、今週号の週刊朝日の記事(どうも「朝日」が目立つが)などに触発されたような形で、いろいろな議論が展開されている。

http://blog.livedoor.jp/datusara/

の10月26日では、町村教授のブログに対し、

しかし、だ。「お気の毒」とか「浮世離れ」などという言葉を使って、高い合格率を信じて入学してきた人たちを揶揄するのは、行き過ぎではないか。
 もちろん、7割8割の合格率を信じていた人は、大きな人生の選択になるであろう法科大学院入学に際して、適切な情報収集と慎重な検討を欠いたのかもしれない。しかし、昨年の秋から今年の春までの間、マスコミや各法科大学院はこぞって新制度の理念を謳い上げ、高い合格率を喧伝していたではないか。
 当然分かっていたといいならが、新司法試験の合格率は2割〜3割になるという事を受験者・合格者に正確にアナウンスした法科大学院があったのだろうか? そもそも、町村教授ご自身は、その事を南山大学法科大学院の受験者・合格者たちに告げていたのだろうか? その上で入学を判断させていたのだろうか?
 もし町村教授がそうしていたのなら、まだ語る資格はある。しかし、厳しい現実を知っていたにもかかわらずそれを公表せずに、むしろ甘い幻想が一人歩きするにまかせ、受験者・入学者集めに活用しさえしたことについての責任は、各法科大学院・各教授たちにある。それを今になって、入学者側が幻想を抱いたことのみを取り上げるのは、自らへの批判をかわそうとする責任逃れに過ぎない。

といった、手厳しい批判が行われており、それに対し、町村教授は、ご自身のブログ

http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2004/10/sorry.html#more

で、

揶揄したつもりはなく、むしろ表現を和らげて書いたつもりだったのだが。本当なら昨日のコメント欄に書かれた方のような表現を書きかけたのだが、週刊朝日の人が万一実在の人物だったら困ると思ってやめておいたのだ。
大学が7〜8割の合格率を宣伝文句に学生を集めたといわれるのも、心外な話である。大体脱サラ法科大学院生さん自身が認めるように、そのようなことは不可能というのが周知の事実だったのだから、これに反するような宣伝は不可能だと思うが。

などと反論されている。
こういった議論を見ていて思うのは、後ろ向きの議論をしていても、誰も救われない、ということである(上記の議論は、少なくとも前向きとは言えない)。
私は、ロースクール問題の現状について、「行き先を見失い沈没必至で、救命ボートが乗員の2割から3割分しかない豪華客船」などという例え話を持ち出しているが(こういう話に気を悪くしている人には申し訳ないが、本質を突くには例え話のほうがわかりやすい場合がある)、そういった船の中で、過去のことをほじくり返して、「船の設計が悪いから、こうなったんだ」とか、「いや、操船が下手くそだから氷山にぶつかったんだ」とか、「あんたは、あのとき、もっと沢山の人が助かると言ったじゃないか」とか、「いや、俺はそんなことは言ってない」などと、なじり合っていても、助かる人が増えるわけではないし、まごまごしていると、助かる人も助からないかもしれない。
現実の人間は、現実の中でしか生きられないし、それぞれの身の振り方はそれぞれがリスクを負って決め、進んで行くしかない。
ロースクールに関する議論は、そういた厳しい現実の中で、いかに、より多くの人が初志貫徹できるか、初志貫徹できないとしても、いかにより多くの人が「ロースクールで学んだことが無駄ではなかった」と思えるような進路に進めるか、そのために、制度がどうあるべきで、ロースクールに何ができるか(あるいは、できないか)、といった観点から、前向きなものとして展開される必要があると痛感している。