ロースクールについて(その他の感想1)

いただいたコメントに関連して。

# 少しだけ先輩? 『よい講義、適切な指導者、適切な添削>これらが一般的な受験生の視点のものと試験をする側(あるいは落合弁護士)の視点とで乖離している気がします。
あと気になるのは、15年くらい、答練出題・解説・添削、口述模試などやってきましたが、とくにここ数年はおきまりの答え(論述・論証)しかできず、ついつっこみたくなるようなものが多いことです。なのに、ごくごく基礎的なことができていないのです。合格者でもそうです。』

受験生としては、手っ取り早く結果が出したい、と思うのは、それはそれでやむをえないと思います。ただ、「お手軽な勉強ばかりしていると良くないよ」と、教え導いてあげるという機能も必要でしょう。そういった機能が、ロースクールを中心として健全に機能するのか?という点について、私は、重大な疑問を抱いています。
「おきまりの答え(論述・論証)しかできず」という点は、私も同じ認識です。先日、あるところで、司法試験の内情について把握している人と意見交換する機会がありましたが、論証フォームを覚え込むことによる弊害が顕著に出ており、論文試験の際、「鵜飼いの鵜」のように、頭に詰め込んだ論証を答案上にはき出すことしかできない受験生が多くて、低得点の答案が続出している、とのことでした。
こういった現状が、なぜ出現したかということについては、多面的な検討が必要だと思いますが、司法試験の出題形式自体が、こういった弊害を招いてしまったことは指摘できると思います。
昭和50年代後半以降、司法試験合格者の平均年齢の高齢化が顕著になり、特に、キャリアシステムをとる裁判所、検察庁を中心として、合格者若年化の必要性が強く提唱されるようになりました。若年化のために、いろいろな方策が講じられましたが、細かい知識を問わないようにする(特に択一試験)、論点をわかりやすくする(特に論文)という傾向は、一貫して継続してきたのではないかと思います。
そういった傾向自体は、悪いことではなかったと思いますが、法学部の教育態勢がお粗末な中で、司法試験がそういった傾向になってきたことから、受験生の間で、難しい本は読まず、予備校のテキスト程度で手軽に済ませる(細かい知識は問われないのだから)、出題が想定される論点について予め論証を覚えておく(論点がわかりやすい以上、そういった準備が有効)という勉強方法が浸透し、オーソドックスな法学の勉強が欠落したまま、そういった受験勉強に偏した受験生が増えたことで、「おきまりの答え(論述・論証)しかできず」「ごくごく基礎的なことができていない」という人が、合格者の中にすら現れるようになったのではないかと私は見ています。
そして、そういった傾向に、結果的に拍車をかけてしまったのが、合格者数の増加と合格枠制であったと思っています。

(続く)