警察庁長官狙撃:容疑者逮捕「やはりオウムか」

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20040707dde041040035000c.html

私自身、東京地検でこの事件の捜査に関与していた時期があるので、言えないことのほうが多いんですが、報道等から感じていることをあげると・・・
この事件がオウム真理教信者による組織的犯行という当初からの警察の見込みは、間違っていなかったと思いますが、実行犯について、逃亡中の平田信という決めつけが、ボタンの掛け違えを生じさせたような気がします。警察の見込みが実態と異なっていると思えば、関係者も話をしたがらないし、逃亡中の者を何とかかばってやりたいと思うのも人情なので、ますます解明が困難になったのではないか。そこで、更に捜査を暗礁に乗り上げさせたのが、現職警察官の関与という衝撃的な事実と、その事実を「隠ぺいしていた」というスキャンダル、警視庁上層部の更迭でしょう。「上へ」報告すれば、情報がいろいろな方面へ「抜ける」というのは、火を見るよりも明らかで、見通しがつくまでは極秘で捜査して真相を解明したかったところに、何らかのリークがあって、大騒動になってしまった。そうなると、もう隠せないし、現職警察官のあやふやな供述を頼りに何とか目鼻をつけようとしたが、土台無理で、東京地検にも相手にされず、現職警察官は、長官狙撃については立件されるどころではなく、その時点で、捜査は一旦頓挫してしまったのでしょう。
それを、ここまで持ってきたというのは、警察の執念と言えるわけですが、仮に元警察官から、それなりの自白が得られているとしても、もともとその供述の信用性には問題があるわけですし、逮捕した他の被疑者から自白が得られなければ、断片的な目撃状況といった「薄い」証拠を総動員して、状況証拠の積み重ねも最大限活用して、立証する必要があるわけで、公判が難航するのは必至です。
それを承知で、いま、ここで着手したというのは、被告人になっている者について、死刑判決が次々と出ているような状況の中で、ここで着手して一気に真相を解明しないと、永遠にその機会が失われると捜査当局が判断し、勝負に出たということではないでしょうか。