winny開発者の刑事責任について(その2)

一般的に、幇助犯の成立要件が緩やかであることについては、(その1)で指摘したとおりである。
しかしながら、社会内においては、様々な物が、数多くの人によって利用されており、利用の方法によっては悪用も可能な物も少なくない。悪用の可能性があるからといって、そういった物の開発、提供が差し控えられるようなことがあれば、社会生活は不可能になってしまいかねない。
こういった問題については、ドイツでは、古くから、「中立的行為による幇助」の可罰性、といった形で議論されてきたようであるが、日本においては、それほど論文も多くなく、また、今回のwinnyの問題が勃発するまでは、マイナーな論点という捉え方をされてきた面もあるようで(確かに、殺人犯に包丁を売った金物屋の刑事責任、といった取り上げられ方では、議論に熱意も入りにくい)、議論は正にこれからといったところである。
それはともかく、この問題について、まず、考えられるのは、「故意」について、高いレベルのものを要求し、例えば、上記のような中立的行為による幇助については、未必の故意程度では不十分であり「確定的故意」(法益侵害について確定的なものとして認識、認容する心理状態)を要求するという考え方である。私が読んだ論文によると、ドイツでも、このような考え方に立つ学説があるということであり、この種の行為について、可罰性を限定する上で、一つの魅力的な見解と言うことはできよう。
この考え方を、winny開発者にあてはめて考えると、利用者が著作権侵害等の違法行為に及ぶことを確定的に認識、認容しつつ開発、提供行為に及ばない限り、無罪ということになる。
ただ、この考え方については、①なぜ、一般的な幇助犯の成立要件の中の故意について、この種の行為の場合に確定的故意まで要求するかの理論的説明に難しい面がある②犯罪の成否を、行為者の故意という主観的要件により決するのは、犯罪の成否に関する判断を不安定にし、人権保障上問題、といった点を指摘できる。
(続く)