そして、メディアは日本を戦争に導いた

昨年、出てすぐに買って、半分くらい読んだのですが、そのままになっていたので、この連休中に最後まで読み通しました。戦前、戦中に、日本のマスコミが、日本は戦うしかないと声高に喧伝し煽りに煽っていたことや、その中でも、大勢に抗して日本が誤った道へ進まないように努力していたごく一部のジャーナリストがいたことが、博識な2人の対談形式で具体的に語られていて、今の日本の現状と重ね合わせつつ、興味深く読むことができました。
結局、マスコミというものも、その国の国民のレベルに応じたものにしかならないのだろう、という気が、この本を読んで、改めてします。特に、言論の自由が保障されているような国ではそうでしょう。その点、戦前、戦中、特に昭和に入ってからの日本は、言論の自由への制約が強い国でした。しかし、では、戦争へ戦争へと国民を駆り立て煽ったマスコミがそういった制約の犠牲者かと言われれば、そうではない、と私も思いますし、この本の題の「導いた」という点にも、著者らの同じ気持ちが込められていると感じます。導かれたというと、導かれた側が犠牲者風になりますが、当時の国民の意識、風潮が、当時のマスコミ論調をしっかりと支えていたところに、きちんと目を向けておく必要があると思いますし、それは今へと通じる教訓にもなるでしょう。
耳触りの良い政治家、マスコミの言葉に踊らされるのは心地良くても、では、それが真の意味で国民の利益を損なわず増進することになるとは限りません。やはり、自らの理性、感性を働かせ主体的に判断して正否を見極めるという態度で臨まなければ、我々は、再び「いつか来た道」を歩んでいるということになりかねない、ということだと、しみじみと感じています。

2014年05月09日のツイート

ジェノサイド-ナチスの虐殺-ホロコーストの真実

ジェノサイド-ナチスの虐殺-ホロコーストの真実 [DVD]

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1981年のアカデミー賞・長編ドキュメンタリー映画賞受賞、というのは、アマゾンで見つけるまで知らなかったのですが、観てみると、確かに、それに値すると感じさせる重厚な内容でした。ナチス犯罪追及で著名なサイモン・ウィーゼンタール・センターが製作に関与し、サイモン・ウィーゼンタール氏も作品中に登場して説明していて、私は、同氏をまじまじと見るのはおそらく初めてで、こういう人だったんだなと、その点でも感慨深いものがありました。
作品の手法は、時代の影響を受けてか、ドキュメンタリーではあるものの、画面が次々と切り替わる、やや前衛的な手法が採られていますが、ユダヤ人迫害からホロコーストへと進行する歴史はしっかりと押さえられていて、背景事情についてよく知らない人にも理解しやすい内容になっています。ただ、ストーリーの展開が早く、掘り下げて深く、という感じにはなっていなくて、やや消化不良的な印象が生じることは否めませんでした。そこは別の形でよろしく、ということなのでしょう。
長編、といっても、1時間半弱で観るのに骨が折れるほどではなく、この分野に興味ある人にとっては、一度、観ておくべき歴史的作品という位置付けになりそうです。

カティンの森

カティンの森 [DVD]

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今年の3月に、ポーランドクラクフを拠点に、その近くにあるアウシュヴィッツ・ビルケナウなどに行ったのですが、クラクフの旧市街で、カティンの森事件の慰霊碑があり、その前で頭を垂れて犠牲者の冥福を祈りました。この作品の中では、当時のクラクフが繰り返し登場して、行ったばかりであったので、よりリアルに感じることができました。

 2014年3月 クラクフ

カティンの森事件は、ドイツやソ連によるポーランド侵攻後、ソ連の秘密警察が、捕虜となった多数のポーランド軍将校らを殺害したものですが、この作品でも、ソ連による犯行であることがポーランド内部でも公然の秘密化されつつソ連の強い影響の下、ナチス・ドイツによる犯行として人々が動かざるをえなかった様子などが生々しく描かれています。カティンの森での虐殺シーンはとてもリアルで、正視し難いものを感じつつ、このような悲劇に遭遇した人々への強い哀惜の念を抱かずにはいられませんでした。2010年には、カティンの森事件の慰霊式典へ向かう途中のポーランド大統領やポーランド政府、軍高官らを乗せた航空機が墜落して乗員、乗客が全員死亡するという悲惨な事故も起きていて、クラクフのヴァヴェル城内にある故・大統領夫妻のお墓にも、滞在中、行って冥福を祈りました。
作品としては、ドキュメンタリータッチで淡々と描かれ、やや盛り上がりには欠けるものがありますが、扱っているテーマの重さややりきれなさが、美しいクラクフポーランドの風景とともに描かれていて、やはり観ておいて良かったと思わせるものがありました。