ストーカー事件 刑事部門の積極関与を

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140508/k10014301191000.html

ストーカーによる事件は、今月2日にも大阪で飲食店の従業員の女性が客の男に殺害される事件が起きたばかりで、被害者をどう守っていくかが全国の警察の課題となっています。

男女トラブルに関する警察の従来の手法は、まずは生活安全部門で「困りごと相談」扱いにして、できるだけ事件化せず済ます、そこでフィルタリングにかけて、どうしても事件化せざるを得ないものを引き延ばしながら(引き延ばす中で事件化しなくて済むと判断すれば捨ててしまう)事件化して刑事部門が取り扱う、というもので、刑事部門は事件性が明らかなものしか話すら聞かない、という傾向が顕著でしたね。そういう中で、死ななくて済む人が死んだり、警察に助けてもらえず怖い思いをしたりという弊害が出てしまっていて、遅ればせながら、上記のように、警察庁の刑事局長や生活安全局長が自ら乗り出して檄を飛ばすという現状になっているものと思います。
ただ、生活安全や地域、といった部門の人々は、そもそも事件性の判断が得意ではない人が結構いる上、刑事部門も、そうでなくても多くの事件に追われ、これ以上仕事が増えるとやっていけない、という意識が強いはずで、そういった人や組織の体制も手当てしていかないと、笛吹けど踊らず、実効的には動いていかないのではないかと思います。そうなってしまえば、今後も、死ななくて済むはずの人が死んだり、といったことが続くでしょう。

2014年05月08日のツイート

少年犯罪を防ぐのは「厳罰」か「教育」か 相次ぐ少年法改正の背景は

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140509-00000003-wordleaf-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140509-00000003-wordleaf-soci&p=2

厳罰化に賛成する人、反対する人の両方で一致しているのは、「罪を犯した少年はきちんと罪と向き合い、内省を深めなければならない」ということです。そのために行うべきことは厳罰化なのか、更生への教育なのか、その両方なのか。議論をこれからも続けていく必要があるでしょう。

私は2000年(平成12年)に検察庁を辞めたので、記事にあるような少年法改正の大きな流れの前に検察庁は離れたことになりますが、かつての少年法では、検察官の立会がまったくできず一旦事実認定に問題が生じると迷走状態に陥る(陥ったとしか思えない)ケースが出がちであったと思いますし(検察官が立ち会えば良い、というものでもありませんが、犯罪事実をきちんと立証する立場の検察官がいたほうが望ましいことも少なくないでしょう)、処罰、ということになった場合も、刑の上限が低すぎて国民の納得が得られにくいという傾向が強かったと思います。
ただ、この問題を「厳罰か教育か」といった、二者択一、紋切り型の考えで切ってしまうのではなく、少年の特質をよく見据えて、仮に刑を科するということになった場合も、刑期だけでなく、その後の処遇においても(仮釈放の運用も含めて)、そういった特質を十分に踏まえた取り扱いがなされるべきだろうと思います。有罪判決後に、可塑性から改善が相当程度進み反省の情が顕著である場合は、成人に比べて、かなり思い切って早期に仮釈放を認めるなど、厳罰に処してもその後のフォローをきめ細かく行うことが不可欠だろうと思います。そういう、きめ細かい議論や運用を、今後、さらに望みたいものです。