「遠足中止を」生徒装い手紙=JTB社員、手配ミス発覚恐れ−岐阜

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014042900229

同校によると、遠足は全校生徒317人が対象。各学年ごとに名古屋市の東山動物園、三重県桑名市ナガシマスパーランドなどに行く予定で、男性社員に大型バス11台の手配を依頼していた。
男性社員は遠足前日の24日夕、「学校の郵便受け近くに落ちていた」と言って、同校事務室に手紙を届けた。匿名で生徒を装い「(遠足に)行くのは死ぬよりつらい」などという内容だったという。このため同校は電話で、全校生徒の安否を確認。該当者がいなかったため遠足実施を決めた。
しかし25日朝、全校生徒が集まる中、バスは来ず手配ミスが発覚。

これは、刑法上の偽計業務妨害罪が成立する可能性が高いのではないかと思いますね。「同校は電話で、全校生徒の安否を確認」にかかった労力には多大なものがあるでしょう。警察に被害届出すレベルの話だと思います。
それはともかく、遠足のバスを手配し忘れたから偽計を弄して遠足を中止させようとする、という、中学生レベルの短絡的発想、行動が、JTBという日本有数の旅行会社の社員によってかくも悲劇的に(喜劇的に?)露わになってしまったということに、単なる個別の事件では片付けられないものを感じます。この種の人が、様々な組織の中で、地雷のように潜在していて、ちょっとした切っ掛けで顕在化するのではないか、日本人が徐々に劣化して、こういうレベルの人が増えているのではないか、といったことが懸念されます。そんなことはない、杞憂だよと、笑い飛ばせればそれに越したことはないのですが・・・。こういった人が、学校では成績が良く偏差値の高い大学を出ていたりすると、では、そういう人物を生んだ教育とは一体何だったのかということにもなるでしょう。

2014年04月28日のツイート

元広島高裁長官の児島武雄さん死去

http://www.asahi.com/articles/ASG4X5VM5G4XPTIL02X.html

1988年3月に広島高裁長官に就任し、90年に定年退官した。

私は、昭和63年(1988年)4月から同年11月まで、広島地方裁判所で裁判修習を行ったのですが、その際、児島長官の講話を聞く機会がありました。講話後の質問で、何を聞いたかまでは思い出せないのですが、長官が、関西の裁判官の中では知られた学究肌の方だったということもあって、何か、刑事裁判実務上の問題点について質問して(そういう時にそういうことを聞く私もまだ若かったなと感じます)、その場にいた修習生指導担当の裁判官から慌てて制止するような言動があったのですが、長官がそれを軽く制止ながら、私もそこには問題があると思う、と静かに述べられて、少し一般的な話をされた後、これ以上はもう言わさないでくれ、と言って話を終えられたその時の様子、私のほうを真摯な感じでじっと見つめられている姿が、うっすらとした記憶ですが、思い出されます。
その後、検察庁に入り、さらに、しがない弁護士になった私は、再びお会いする機会はありませんでしたが、訃報に接して、その時の様子が思い出されました。
指導を受けた1人して、ご冥福をお祈りします。

ジョブズが語る失敗について。

http://blogos.com/article/85373/

最後に、冒頭にご紹介した伝記本に追加された10ページに書かれていた言葉を紹介します。ジョブズの妹で作家であるモナ・シンプソンジョブズの追悼式で語った一節。

“We all ― in the end ― die in medias res. In the middle of a story. Of many stories.”

”我々は皆――必ず最後には――道半ばで倒れるのです。物語の途中で。たくさんの物語の途中で”

私にとっても、追加部分の中で、特に印象に残ったのは、上記の言葉でした。志が高ければ高いほど、目標が高く大きいほど、その人は道半ばで倒れるのでしょう。とは言え、倒れるまでに達成したものも絶大、ということも多々あって、スティーブ・ジョブズも、その中の1人ということを改めて強く感じました。
伝記の追加部分を読んで、スティーブ・ジョブズの人生は決して長いものではなかったけれども、その最期は、愛する家族に囲まれ多くの人々に惜しまれる、その意味では幸せな最期であったと感じるとともに、でも、もっと生きてやりたいことをおもいきりやってほしかったと思わずにはいられませんでした。道半ばで倒れるとしても、その日はもっと後であってほしかった、そう思います。

BS1スペシャル「Brakeless〜JR福知山線脱線事故9年〜」

https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=200-20140429-11-25898

107人が死亡した9年前の福知山線脱線事故。これは効率を極めようとした社会が生んだ事故だったのではないか。英BBCとNHKが事故を誘発する社会背景に迫った。

事務所で仕事をしていて、たまたまこの番組の存在を知って、先程、観ました。なかなかよく取材されたことがわかる、厚みのある番組だったと思います。
便利さ、効率の良さが、激しい競争の中で徹底的に追及されるとき、安全性が疎かになったり犠牲にされがちで、福知山線脱線事故の背景に、そのようなものを見るのは、私も正しいと思います。ただ、ではどうすべきか、というところまで、この番組では、時間の関係もあってか詰め切れてはいませんでした。
そのためには、監督官庁による規制、指導といったことだけでなく、やはり、民事だけでなく刑事面でも、現在のように、予見可能性や結果回避可能性を、具体的なものとして要求する、ハードルの高い過失犯構成で追及するのは無理があり実効性も乏しいでしょう。
例えば、公共交通機関の安全担当者、役員には、安全体制確立・維持義務を課して、人身事故が発生し、安全体制の不充分さが原因になっていることが立証された場合は、安全体制確立・維持義務違反が推定され、反証がされなければ刑事責任を問われる、といったことも、今後考えるべきかもしれません。
そういったことを、いろいろと考えさせられる番組でした。