作家・山崎豊子さん死去…権力の矛盾切り込む

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130930-OYT1T00643.htm?from=ylist

国立大医学部の教授ポストをめぐる権力闘争を告発した「白い巨塔」(65〜69年)以来、「華麗なる一族」(73年)、「不毛地帯」(76〜78年)、ジャンボ機墜落事故を招いた航空会社の腐敗体質をえぐった「沈まぬ太陽」(99年)など、綿密な取材に基づく社会派の視点で、不条理な組織体質や権力の矛盾に切り込んだ。作品は相次いでテレビドラマ化されて高視聴率を上げ、映画でも話題を呼んだ。

私が、最初に山崎作品に接したのは、ドラマ「白い巨塔」(田宮二郎主演)でした。昭和58年に大学に入学した直後に、テレビで再放送していて、それを録画して観たいがために、当時のソニー・ベータマックスのビデオデッキを、手持ちのお金を節約して買い、夢中で観ていました。児玉清さんが、田宮二郎演じる財前教授による医療過誤事件に被害者代理人として取り組む弁護士を演じていて、こういう弁護士になりたいものだと思った記憶があります。その児玉さんとは、2001年に、ドラマ「HERO」の打ち上げの際、白い巨塔の当時からファンでしたと言って一緒に写真を撮ってもらったのですが、その児玉さんも亡くなりましたね。
その後も、いくつかの作品を読んだりドラマ、映画も観ましたが、リアリティや人間の描き方など、創作手法に批判もあるものの、傑出した作家である、という印象を、ずっと強く持ってきただけに、逝去は残念です。
昨年1月から3月に、TBS系で放映された、山崎豊子原作のドラマ「運命の人」は、私が依頼され法律監修を務めましたが、山崎作品の中で、ドラマ化されたものとしては最後に位置する作品に関わることができたことは、若き日に、上記のように、山崎作品を夢中で観ていた者としては思い出深いものがあります。
今後も、まだ読めていない作品も含め、読みたいと思いつつ、御冥福をお祈りします。

2013年09月29日のツイート

LGスマートフォン「G2」の使用感をチェック!

http://www.yomiuri.co.jp/net/news/mobile/20130927-OYT8T00318.htm

多くのスマートフォンが側面に備えている電源ボタンやボリューム調整ボタンが存在しないのだ。これらのボタンは本体背面に配置し、非常にシャープなスタイルを実現した。これまでのスマートフォンの「ボリュームボタンは側面」という常識を覆したわけだ。ユーザーのスマートフォンの使い方を検証・観察するなかで、スマートフォンを持ったときに自然と人差し指がかかる位置にボタンを集めたら背面になったという。確かに、スムーズに操作することができる。

LGでは初めてとなる1300万画素の光学手ぶれ補正機構(OIS)内蔵のカメラを搭載。また、スマートフォンとして初めて高音質の192kHz/24bitのハイレゾ音源の再生に対応している。

液晶画面を2回タップすることで起動する「KnockOn」だ。スリープ状態の「G2」の液晶画面をタップすることで画面が点灯し、アイコンなどがない部分を2回タップすると消灯する。

友人などに「G2」を渡すときの便利機能として、利用できる機能を制限したり、アプリを隠したりできる「ゲストモード」を用意しており、これまで以上のスマートな使い方ができそうだ。

LG G2は、アンドロイドスマートフォンとしてハイスペック、ハイエンドであるというだけでなく、従来のスマートフォンで、当たり前のようになっていた機能を見直して、斬新に変革している点でも注目すべき製品ではないかと思います。側面ボタンを背面に回したことは、その最たるもので、記事によると使いやすくなっているということですから、成功しているのでしょう。
PCでは普通の機能になっているゲストモードも、スマートフォンでは採用されている従来はは見かけませんでしたが、持っていない人に貸したり、持っていないときに借りたりする、ということも、今後はますます増えてくる可能性が高く、なかなか良いところに目を付けた、という気がします。
韓国製のスマートフォンというと、サムスンに注目が集まりがちですが、台湾のHTCが経営危機に陥っているという報道もあり、サムスンに飽き足りないアンドロイドスマートフォンファンとしては、HTCに代わる存在としても、今後はLGに注目しておく必要がありそうに思われます。

<「自炊」代行訴訟>複製差し止めと賠償命令 東京地裁判決

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130930-00000070-mai-soci

2社が著作者らの許諾を得ずに利用者(読者)から1冊数百円程度で自炊を請け負っていたことについて、原告側は「著作権法に違反する」と主張し、差し止めと損害賠償を求めた。これに対し業者側は、同法が個人で利用するための「私的複製」を認めていることを根拠に「利用者の『手足』になっていたにすぎず、法的に問題ない」と反論していた。
大須賀裁判長は「一般の読者が自ら設備を準備して電子化の作業をすることは困難。業者が利用者の管理下で複製していたとは評価できない」と退けた。

私的複製を、どの範囲まで認めるかが問題になりますが、あくまで「私的」なものである以上、自ら行うか、それと同視できるような態様、規模のものというのが法の趣旨で、組織的に、かつ有償で自炊を代行する業態を適法な私的複製と評価するのは、やはり現行法上は困難でしょうね。
ただ、こういった自炊代行は、あくまで、既に売れた本を自炊してデータ化しているに過ぎず、それにより、本来、売れるはずの本が売れなくなる、という性質は持っていません。こうした自炊代行を禁圧するのであれば、上記の記事にある「1冊数百円程度」の手数料を、著作権者に支払うことで、既に紙の本を持っている人であれば電子書籍を購入できるようにしてほしい、と感じるのは、おそらく私だけではないでしょう。
従来の著作権法電子書籍普及との間に生じている狭間、その中で便利さを求めながらも「権利」という厚い壁の前で不便を強いられる利用者、そういった利用者が紙の本からますます離れてしまうのに日本ではなかなか電子書籍が広がらない現状、ビジネスチャンスの喪失等々、いろいろな問題が浮かび上がってくる、そういう気がするニュースです。

強制起訴は見直しが必要だ

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60327280Y3A920C1EA1000/

過去の強制起訴の例をみても、同じように現在の刑事裁判のあり方となじまない例がある。検察の段階で不起訴になった後、長い間裁判を強いられる負担は大きく、このまま放置すべきでない。
同じく司法改革の一環として新たに導入された裁判員裁判や法曹養成制度は、踏み込みが足りないもののすでに見直し作業が始まっている。強制起訴についても、審査する対象や議決に至った経緯の開示など、制度の全般にわたる見直しに取りかかるべきである。

事件にはいろいろあり、一般人が判断するのに馴染むもの、馴染まないもの、様々です。裁判員制度は、その点、裁判官と裁判員が一緒に裁く制度にすることで偏りや誤りを防止する方策がとられていますが、検察審査会の場合は、今のところ、難事件への適正な判断ができているとは言えない状態と言わざるを得ず、制度改革の必要があると考える人は多いと思います。
少なくとも、嫌疑不十分など、有罪になり得る事件かどうかの検討が必要な、起訴猶予以外の事件については、現行の付審判事件のように、裁判所に審理してもらうとか、検察審査会のメンバーに裁判官や弁護士も入れて議決に加わらせる、といった方法も、検討の余地があるでしょう。
私が政界へと進むようなことがあれば(その可能性は今のところ皆無ですが)、こういった刑事司法に関する問題は、真っ先に、最優先課題として取り組むべき課題になるでしょう。