<危険運転致死罪>赤信号殊更無視「従う意思なければ該当」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081018-00000074-mai-soci

ボツネタ経由で知りました。なかなか興味深い判例ですね。

弁護側は「『殊更に』の要件を満たすには、赤信号の明確な認識が必要」と指摘。赤かどうかはっきり分からず、「赤でも構わない」と思って交差点に進入した平被告には危険運転致死罪は適用されないとして、業務上過失致死罪の適用を主張した。
これに対し小法廷は「信号表示を意に介さず、赤でも無視しようとの意思で進行すれば、要件を満たす」と結論づけた。

法律の解釈にはいろいろな手法があり、その中で、法文の表現を重視する文理解釈という手法によれば、「殊更に」ということは、「認識しながら敢えて」という、確定的故意を意味し、「もしかしたらそうかもしれないがそれでもかまわない」という「未必の故意」までは含まれない、という解釈も十分成り立ち得るでしょう。
その一方で、危険運転致死傷罪の罪質、保護法益といったことを重視すれば、赤信号であるかどうかはわからないが赤信号でも構わない、という認識で進行することは、十分に危険な運転であり、そういった場合も「殊更に」に取り込む解釈にも、合理性は認められます。
法律の解釈には、こういった面がある、ということがよくわかる判例であり、多少、文理的に無理があっても、裁判所は必要とあればここまで踏み込んでくる、ということがよくわかるということも言えるように思います。

追記:

上記の点につき、山口厚・刑法各論(補訂版)を見ると、

赤色信号を「殊更に無視し」とは、故意に赤色信号に従わない行為のうち、およそ赤色信号に従う意思のないものをいう。これには、赤色信号であることの確定的認識があり、停止位置で停止が可能な場合であるにもかかわらず、これを無視して進行する場合のほか、およそ信号が何色であるかを意に介することなく、赤色信号の規制に違反して進行する場合が含まれる。したがって、赤色信号を看過した場合や、信号の変わり目で赤色信号であることに未必的な認識しかない場合は含まれない。
(56ページ)

とされています。
最高裁が言う「信号表示を意に介さず、赤でも無視しようとの意思」には、従来の考え方では未必の故意とされてきた部分が取り込まれているように思いますが、単純に、未必の故意でも構わない、と言っているかというと、どうもそうではないようにも見え、なかなか微妙な言い回し、という印象を受けるものがあります。

事務所での懇談など

昨日は、午後から事務所に出て、黙々と仕事をこなし、夜は、知人の女性弁護士や女性記者と、お寿司を食べワインセラーから取り出したワインを次々と飲みながら、しばらくの間、懇談していました。
話しながら改めて思ったのは、検察庁が戦後の昭和20年代以降、手がけてきた事件(特に経済事件)について、私自身にそれなりに知識があって、また、大学に入った昭和50年代の後半以降、あれやこれやと本(既に絶版となったものも多い)も買って持っているので、話し始めるときりがなくなる面がある、ということでした。以前、ブログでも

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070224#1172288873

とコメントしたことがある

特捜検事ノート (中公文庫)

特捜検事ノート (中公文庫)

など、何冊かの蔵書は、記者がその内容を知っていれば役に立つこともあると思い、貸してあげました。事件というものは、どうしても目の前に現れたものにしか目が行かない、ということになりがちですが、どういった方向で進めるべきか、関係者にとってどのような処理が適切なのか、といったことを考える上では、過去の事件に謙虚に学びつつ、関わるそれぞれの立場での全人格的な判断、ということが求められる側面があるように思います。その意味で、過去の、特に著名事件について、当時の関係者が書き著したものを読んでみる、というのは、なかなか勉強になり有益と思います。
会がお開きになった後、なぜか、

ダーティハリー4 [DVD]

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が観たくなり、久しぶりに最初から最後まで通して観ました。これを最初に観たのは、確か大学2年生の時で、犯罪により被害を受けた人々の人権の問題や、そういった人々の救済といったことには無力な面がある法の不備、正義とは何か、といったことについて、未熟な大学生なりに考えたことが思い出されました。その後、今に至る私自身の歩みについて、すべてではないとしても、この映画が与えた影響というものは、幾分かはあったかもしれません。

「日本一」お金持ちが多いのは「井の頭線」沿線

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081019-00000001-jct-soci

井の頭線沿線には吉祥寺、浜田山、永福町、久我山といった高級住宅街がある。吉祥寺には昔からお金持ちや文化人が住んでいて、吉祥寺南町吉祥寺本町には「お屋敷」が多い。最近では新築マンションの賃貸も増えて、一流企業に勤める人や実業家に人気を集めている。

ポルシェセンター浜田山の担当者は、
「全国でポルシェの販売台数は年間約4100台ですが、当店だけで270〜280台売れていて、全国でトップ3に入ると思います。浜田山に住んでいる方だけでなく高所得者が多い永福や世田谷方面からも利用してもらっています」
と話している。

私は、広島出身で、大学生になってから東京に住むようになりましたが、いろいろな意味で恵まれないまま今に至っていて、上記の記事にあるような高級感、東京で高級住宅街がどこか、といったことが、いま一つピンとこない面があります。何となく、言われればそうかな、とは思いますが。
私が住んでいるマンション駐車場にも、ポルシェが何台かとまっていますが、以前、その中の1台の使用者が、いきなり、前のボンネットをポンと開けて、中にある荷物を取りだしていたのを見て、なるほど、ポルシェはリアエンジン、リアドライブで、荷物は後ろではなく前で出し入れするんだな、と強烈に認識したことがありました。
Loewe」というのが読めるようになったのは比較的最近であったり、「B」というエンブレムがある車で、BMWではないけど何だろうな、と思っていたところ、これも比較的最近になってベントレーであることがわかったりと、「高級」なものについてはやっと幼稚園から小学生段階へと移行しつつあるような状況です。