二・二六と聖断 阿南自決の真相(保阪正康・月刊文藝春秋2008年5月号)

テーマが衝撃的であったため、早速、読んでみましたが、「真相」が明らかになった、とまでは言えないように思いました。
ただ、「新資料」として全文が紹介されている、阿南元陸相が、2・26事件の直後に、陸軍幼年学校(東京)校長として述べた訓話は、いかにも阿南元陸相の人格、人間性、考え方といったことをよく現していると思いました。楠木正成が、自らの意見が採り入れられないからと言って後醍醐天皇の側近を斬ったりせず全力を尽くしたことや、大石内蔵助が不倶戴天の仇である吉良上野介を討ち取る際にも礼を尽くして接し武士道をないがしろにしなかったこと(2・26事件のように昭和天皇重臣らを見るも無惨に惨殺したりせず)などを例に挙げつつ、帝国陸軍軍人として2・26事件のような事件を起こすようなことがあってはならないことを懇切丁寧に、断固として教え諭していて、これを聞いた幼年学校の生徒が感銘を受けた、ということがよく理解できました。
「動機が忠臣愛国に立脚し其考えさえ善ならば国法を破るも亦已むを得ずとの観念は法治国民として甚だ危険なるものなり」「道は法に超越すと言う思想は一歩誤れば大なる国憲の紊乱を来すものなり」「道は寧ろ法によりて正しく行わるるものなりとの観念を有せざるべからず」といったことも言われていて、普遍性があり、これを聞いた幼年学校生徒の戦後の生き方にも大きな影響を与えたのではないかと思いました。
阿南元陸相については、以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20071120#1195523725
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070708#1183890987
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070505#1178351695

で触れたことがありますが、やはり、自決は、遺書にあるように自らの責任をそういう形で取った、ということと、それと同時に、陸軍大臣である自らの死によって、陸軍が昭和天皇の大御心に従い終戦へ向け結束することを図った、と見るべきではないか、と思います。
大きな犠牲を出し終戦に至った日本でしたが、阿南陸相のような人物を、終戦時の陸軍大臣の地位につけておくことができたことは、護国の神、仏といったものが、まだ日本を見捨てていなかったということではないか、とも思いました。