奈良放火殺人の本出版、調書引用で著者らを強制捜査へ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070914-00000201-yom-soci

奈良県田原本(たわらもと)町の医師(48)方で昨年6月、妻子3人が焼死した放火殺人事件で、殺人などの非行事実で中等少年院送致になった長男(17)の供述調書を引用した単行本が出版されたことについて、非公開の供述調書の内容が精神鑑定を担当した医師を通じて漏えいした可能性が高いとして、奈良地検は近く、刑法の秘密漏示容疑で強制捜査に着手する方針を固めた。

刑法の秘密漏示罪は、

(秘密漏示)
第134条
1 医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。
2 宗教、祈祷若しくは祭祀の職にある者又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときも、前項と同様とする。
親告罪
第135条
この章の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。

となっていて、親告罪です。
上記の件の場合、「人の秘密を漏らした」こと自体が事実であったとしても、「正当な理由」があるかどうかが問題になり得るでしょう。例えば、社会的に注目を浴びた事件などで、後になって、担当弁護士等が取材を受け事件の内情を明らかにしたような場合、公益性や重要性などによっては、「正当な理由」が肯定されることもないわけではないでしょう。
この種の事件はあまり前例もなく、今後の事件の行方が注目されると思います。

匿名化ツール『Tor』の落とし穴――大使館等の通信傍受に成功


http://wiredvision.jp/news/200709/2007091323.html
http://wiredvision.jp/blog/fromwiredblogs/200709/20070913093919.php

しかし、Torには既知の脆弱性がある。ネットワーク内でトラフィックが最後に通過する出口ノードでは、最終的な目的地に送信される前にデータが複合化されなければならない。最終ノードを管理する人物は、このサーバーを通過するデータを見ることができるのだ。

「政府のために働き、機密情報を扱うような地位にある人なら、データを暗号化せずに送信することは無責任だ。彼らは職員の教育を実施し、暗号化技術を採用した仮想専用網(VPN)を利用することで、データのプライバシーを確保すべきだ」とNerad氏は語った。

いろいろなインターネット上のニュース等で話題になっていますが、機密性の高い情報を、無頓着にメール等でやり取りすることの危険性を示しているように思います。
インターネット上の匿名性というものが、真の意味での「匿名」にはなかなかなり得ない、ということも示しているような気もします。

新司法試験の合格率40% 受験の全68校で合格者

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007091301000604.html

法科大学院の理念である「多様な人材の養成」の指標となる法学未修者の合格率は32%と低迷。来年は全体の合格率とともにさらに低下する恐れもあり、社会人離れが懸念される状況だ。

「さらに低下」しても、昔日のように2パーセント、3パーセントということにはならないでしょう。これだけの高い合格率の中で、「社会人離れ」してしまう程度の社会人は、法曹など目指さないほうが良いのではないかと思います。
法科大学院や新司法試験については、いろいろな問題が指摘されていますが、安易に、覚悟のないまま法曹を目指す人が増えた、ということも、弊害の一つでしょう。法曹になるということは、時には人の生死の問題にも関わる、修羅の道に入るということであり、やればやるほどやっている人間は不幸になり深く暗い淵の中に沈んで行くような面があります。私自身、特に信仰があるわけでもありませんが、自らの来し方を振り返る時、死後の自分は、おそらく良いところへは行けないだろう、生前の罪業を背負うだけ背負って血の池に沈み針の山を登り業火に焼かれて苦しみ続けるのだろう、と思うことがあります。
そこまで思い詰める必要もありませんが、合格率が40パーセントだ、30パーセントだ、といった程度のことで一喜一憂しているようでは、法曹としての先が思いやられるというのが、率直な印象です。

娘のアサガオ

今日の朝日新聞朝刊生活面「ひととき」で、「娘のアサガオ」という、匿名の方の投稿が掲載されていました。その方の娘さんは、20年前に7歳10か月で、白血病のため短い生涯を終え、娘さんの残したものは何一つ捨てられなかったが、娘さんが当時読んでいた「小学二年生」の付録に付いていたアサガオの種を昨年まいたところ、色とりどりの花が咲き、その中に、娘さんが好きだったピンク色や紫色の花もあった、とのことでした。「無念だったろう、もっと遊びたっかろう、親として何もしてあげられなかったと、たくさん後悔してきました。」という述懐に、この20年という歳月の、この方にとっての長さ、重さが感じられました。
最後に、

事故や事件が相次いでいるけれど、どうかみんな、命を大切にしてほしい。娘の面影をアサガオに求めながら、そう祈ってやみません。

とあり、事件、事故には慣れきってしまっている私も、改めて、この方の思いに強い共感を感じずにはいられませんでした。