「補給線ー何が勝敗を決定するのか」

補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)

補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)

欧州へ行っている間に、アマゾンで購入した本書が自宅に届いていて、帰国後、早速、ぱらぱらと目を通してみました。これからじっくり読みたいと思っています。
私のような、素人の歴史・戦史好きから見ても、戦争における兵站・補給の重要性は容易に理解できます。兵站・補給に失敗したが戦争には勝った、という例は皆無と言っても過言ではないでしょう(小規模、局地的な戦闘によっては例外があるかもしれませんが)。
太平洋戦争中の日本陸海軍(特に陸軍)の戦死者の相当数が、戦闘によるものではなく、餓死・戦病死(栄養失調等による)であったことも、上記のような事情の一つの具体例と言えるでしょう。
本書は、1980年に出版されたものの復刻とのことですが、古今東西の戦争や戦争指導者について、兵站・補給の観点から徹底的な検討を加えていて、発表当時から名著との評価が高かったようで、これからじっくりと読むのが楽しみです。
読後の感想も、本ブログにアップしたいと考えています。

但木検事総長、経済犯罪への厳正対処方針を表明

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060825AT1G2501S25082006.html

但木総長は社会が事前規制型から事後チェック型に変化していると指摘し「市民が自己責任を果たすためには、自分で判断する材料が不可欠。虚偽情報をつくったり流したりする犯罪には厳しく当たりたい」と訴えた。

ヒルズ族「成敗」後の凱旋報告のようですね。
気がついたら塀の内側に落ちていたり、拘置所の中で差し入れの弁当を食べていたりしないためには、経済活動について、刑事面、犯罪にならないか、といった観点からの、事前のリーガルチェック、ということが不可欠でしょう。
餅は餅屋、と言いますが、弁護士でも、刑事の分野については得手不得手があるので、その辺は、よく情報を収集して適切な人に聞いてみる必要があると思います。
気をつける必要があるのは、私のように、わからないことはよくわからないと率直に言って、他の適切な弁護士を紹介したりする、というのは、どうも少数派のようで、わからないのにわかった振りをして対応してしまう弁護士が多い、ということでしょう。民事であれば、余計なお金を払う、といったことで済みますが(それはそれで問題ですが)、刑事の場合は、身体がかかってきてしまうことになるので、経緯によっては、取り返しがつかない極めて深刻なことにもなりかねません。十分な注意が必要でしょう。

「あの事件は何だったのか?−パロマ事件で思い出す友人弁護士一家の死。」

http://kito.cocolog-nifty.com/topnews/2006/07/post_29e1.html

紀藤弁護士のブログをたまたま見ていたところ、上記のエントリーがありました。平成4年の事故だったとのことですが、私は、このエントリーを読むまで、事故のことは知りませんでした。
私は、事故があった場所の近くの公務員宿舎に、2年ほど住んでいたことがあり、閑静で環境の良い場所であったという印象があります。亡くなった御一家は、そういった環境の中で、未来に希望を抱いて生活していたはずですが、不慮の事故で、幼いお子さんも含め全員死亡という痛ましいことになり、お気の毒と言うしかありません。
シュレッダーによる子供の事故にしても同様ですが、我々の生活の中には、思いもよらない危険というものが潜んでいるものだと思います。各自が注意すべきは当然ですが、仮に事故が発生しても、死亡等の取り返しがつかない重大な結果までには至らないような、危険回避のための効果的な制度、仕組み作り、ということを、真剣に検討する必要性を強く感じます。

ネット情報「ウソ発見器」 総務省が開発へ

http://www.asahi.com/national/update/0826/TKY200608260179.html

ネット上の情報は、何人もの目で事前に校閲された出版物などに比べ、誤った内容が少なくない。信頼性を確かめるには、利用者が他の情報と付き合わせるなどの作業を行うしか手がない。
総務省が構築を目指すシステムは、この選別をコンピューターで自動的にやらせるものだ。ネット情報のウソや間違いの「発見器」といえる。
完成すれば、ある情報のデマ率を調べたり、ネットで検索するときに信頼性のある順番に表示したりできるという。「この情報はデマ率95%ですが表示しますか」などという注意表示もできるようになる。

こういう発想をする(できる)人というのは、情報というものに対して、真の意味で真剣に対峙したことがない、おめでたい人、無邪気な人なのだろう、というのが、まず、受けた印象でした。複数のソースにあたる、というのは、情報の真偽を確認する一つの手段ですが、複数のソースが、根本の誤ったソースから出ている、という場合もあり、限界があるのは当然のことです。また、口裏合わせ、といったことも数限りなくあります。最近、冤罪であることが明らかになった

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060823#1156306467

でも、起訴時やその後しばらくの間は、複数の証人が、口裏合わせにより、無実の被告人を犯人であると名指ししていた、と報道されていましたが、こういうケースでも、総務省が開発しようとしている「ウソ発見器」では、間違いない情報、ということで、有罪に二重丸か三重丸がついてしまうのでしょう。
いろいろな手段を組み合わせたり、情報源自体の信頼性(誠実度、人間性など)を慎重に見極めたり、といったことが、機械的にできるとは、到底思えないですね。
逆に、こういったものが広く利用され、誤った情報について、信頼性が高いなどと間違った評価を与えてしまうと、誤解がさらに広まってしまう、という恐れも出てくるでしょう。その時に、総務省が責任を取ってくれるはずもなく、責任が取れないようなものは、最初から手を出さない方が良いと思います。

家族の夏壊された 福岡市東区3児死亡事故 深夜、虫捕りの帰途

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060826-00000038-nnp-kyu

痛ましい事故ですが、橋の両端に設置されたガードレール(柵?)の強度が、どれほどのものであったかが気になります。この種の事故が発生した際に、衝突した車両の転落を防止する程度の強度があったのか?なかったとすれば、今後は、この種の事故を想定して、頑丈なガードレール、柵といったものを設置しておくべきでしょう。悲劇を悲しむだけでなく、起きてしまった悲劇を将来に生かし、新たな悲劇を防止するということが実行されなければ、失われた犠牲を無駄にすることになってしまいます。