能登で被災の子へ「大人が声かけを」 29年前、7歳で1人避難所に(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
周辺で大規模な火災が起きていたため、大輔さんは両親が救助される前に近所の人と避難所に移った。携帯電話が普及していない時代。父親が大輔さんがいる避難所を見つけ出して再会できたのは、地震の1週間後だった。
「両親が助かったかどうかもわからず、体育館は寒くて空腹。余震は恐怖だった」と振り返る。
そんな時、声を掛けてくれたのが周囲の大人たちだったという。「『地震が来とうけど、大丈夫やで』とずっと声をかけ続けてもらい、それで気持ちを保っていた」
記事に添えられている、当時3歳で犠牲になったお子さんの愛らしい写真を見ていると、あの震災がなかったら今や立派な大人になっていたはずなのにと、残念な思いが強くします。
災害の時こそ、皆で助け合うことの必要性、重要性を、記事を読み改めて感じますし、遠く離れた場所にいても、寄付をするなど、できる協力をしてくことの必要性、重要性を感じます。そういう気持ちを、自分も引き続き持ち続け、できることをしっかりやりたいと強く思いました。