神戸空港の国際化 兵庫と大阪「薄氷の合意」 直前まで利害対立の背景は

神戸空港の国際化 兵庫と大阪「薄氷の合意」 直前まで利害対立の背景は(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース

 こうした動きの根底には歴史的な経緯がある。関空は1970年代、大阪空港の騒音問題を受け、新設が決まった。当初は神戸沖が有力な候補地となったが、当時の宮崎辰雄・神戸市長(故人)が反対し、今の泉州沖となった。

 その後、方針を転換した同市は06年に神戸空港を開港させたが、当時、利用低迷に苦しんでいた関空と競合しないよう、路線は国内に限られ、1日当たりの発着枠と運用時間も制限された。滑走路も欧米まで飛ばせない2500メートルにとどめられ、3空港ですみ分けしてきた。

先日、神戸で用事があり、羽田空港から神戸空港まで飛行機で行って、帰りもその逆を飛行機で帰ってきたのですが、神戸空港は到着後にポートライナーに乗れば三宮まですぐに着くことができ、便利だなと改めて感じるものがありました。

上記のような歴史的な経緯は経緯として、今後、日本発着便を大きく増やして人の流れを増大させるべき状況にあるわけですから、狭い了見でいがみあうのではなく、神戸空港も国際空港として生かして、全体でさらに大きくなっていくことを目指すべきでしょう。

日本人は、長く、狭い田畑を巡って小さな争いを繰り返してきたせいか、島国根性丸出しで目の前のものを巡って争い、いがみ合うことをしがちですが、皆でウインウインの関係を築き大きく飛躍しようという、そういうマインドが必須だと思います。