「あさま山荘事件」裁判長から受刑者への遺言 いつかこの腕時計を…

「あさま山荘事件」裁判長から受刑者への遺言 いつかこの腕時計を…:朝日新聞デジタル

一審判決は79年3月29日。石丸さんは12人が死亡した山岳ベース事件について、絶対的な権威と権力と地位を確保した森恒夫元被告(73年に拘置所で自殺)と永田洋子元死刑囚(2011年に獄中死)に従属させられた「『革命』とは無関係な、両名による狂気狂言の『同志』粛清の殺人事件」と指摘した。吉野受刑者の犯行の重大さは指摘しつつも、組織内での地位や力関係などを考慮し、検察側の死刑求刑を退けて無期懲役とした。判決文は700ページに及んだ。

石丸俊彦先生は、早稲田大学出身で、私は、大学3年生の時、早稲田大学法学部で石丸先生の刑事訴訟法の講義を聴きました。昭和60年4月から昭和61年3月までのことでした。ちなみに私は昭和61年10月に司法試験に合格しましたが、刑事訴訟法は石丸先生の講義を聴いたことが大きかったと今でも思っています。

当時、石丸先生は東京高裁の刑事部のどこかの部の部総括判事で、当時は役所がまだ土曜日午前中はやっていて、土曜日の午後に講義をしに早稲田に来られていました。

陸軍士官学校出身で、戦後、早稲田大学に入り直して司法試験に合格したという経歴で、上記の記事にもあるようにクリスチャンでもあり、刑事訴訟法の話だけでなく、刑事実務の話も豊富に紹介されていて、話から窺われた器の大きさ、分厚い人間性が、当時の講義の光景とともに、今でも鮮明に思い出されます。

記事にあるエピソードは、私は記事を読むまで知りませんでしたが、石丸先生らしいなと感じ入るものがあります。

人を生かす、生かそうとする石丸先生の人間味、人間としての温かさを思い、しみじみとした気持ちになっています。