伝説の人たらし・田中角栄が「冠婚葬祭」で最も重視した行事を知っているか

伝説の人たらし・田中角栄が「冠婚葬祭」で最も重視した行事を知っているか(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

「おまえは絶対に『相手にこれをやるんだ』という態度を見せてはならん。『もらっていただく』という気持ちで、姿勢を低くして渡せ。人は、カネの世話になることが何よりつらい。相手の気持ちを汲(く)んでやれ。そこが分かってこそ一人前だ」と。 

自分のカネでもないのに、秘書のなかには高飛車に出る者もいる。それは“生きたカネ”とはならないと、厳しく戒(いまし)めていたということだった。

一時、「田中角栄本」が流行り、今でも根強い人気があって、私も何冊か読んだのですが、偶像化されていてどこまで本当かわからないとはいえ、「田中角栄らしい」エピソードには、なかなか参考になるものを感じます。

以前、大平正芳関係の本を読んでいた際、その死去に際して、クリスチャンであった同氏の葬儀を、田中角栄が見事に取り仕切り、関係者が、どこでやり方を知ったのだろうと驚き感心したことが紹介されていました。葬儀というものは急に行われるもので、しかも、関係者は落胆の中で臨みますから、そういうものに日頃から備えて学んでいた田中角栄の日頃からの精進が偲ばれます。

生きた金、死んだ金と、よく言いますが、田中角栄の金の使い方には生きた金というものが感じられます。ただ、そこが、資金作り、金脈問題として、最後には命取りになったのも事実だろうと感じられるのですが。

今後も、田中角栄的なものは、人間社会の偶像として、神格化、美化されつつ長く語り伝えられるのでしょう。学ぶべきでないものは学ばず、学ぶべきは学ぶということで良いのではないかと私は感じています。