http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160318-00000016-mai-soci
検察側は、検察官が黙秘権などの権利告知を行い、勝又被告の体調を気遣うなど十分に配慮する中、被告が殺害状況や連れ去り方法などを詳細に供述し、調書にサインしたと強調した。さらに調書作成の際、被告が訂正箇所を申し出るなど調書内容を自分で決めていたとし、「暴行や脅迫、利益誘導などの手段を使って供述を求めたことは一切ない。被告は自らの意思で話していた」と主張した。
従来の、職業裁判官のみで行われてきた刑事裁判実務では、自白の任意性(証拠能力)が問題となった場合に、そこで飛ばして却下するということは、まったくないわけではありませんが、ほとんどされていなくて、焦点は信用性(証明力)ということになるケースが多くあったという実態があります。証拠を見た上で判断したいという裁判所の思惑による面もあるでしょうし、控訴された場合に任意性で飛ばしているとその判断を誤ったとされることで判決が根底から覆りますから、無罪にするとしても任意性の判断を信用性のそれの中で実質的に織り込んで判断する傾向があるという面もあるでしょう。元々、「任意性」といっても、一般常識的な任意(心の底から、自白的に)とは違って、「明らかに無理な、違法な取りし取り調べが行われたとまでは言えない」程度の緩いハードルとされてきたのは事実です。
こういう構造にあるので、そうであるからこそ、焦点は信用性ということになり、今後、裁判官が、取り調べの状況や自白と客観証拠との整合性、矛盾などを慎重に見て、信用でき被告人が犯人と合理的な疑いがなく認定できるか、判断することになります。そのハードルは、任意性よりもはるかに高いものになるだろうと私は感じています。一審で有罪になっても、控訴審、上告審でそのハードルを越えられるかも問題になってきます。