遠隔操作の被告人が、全面否認から、「真犯人メール」を出したことが明らかになり、全面自白に転じて、と、今日はその話題で持ちきりで、私のところにも、ものすごい数の取材の電話があり、仕事をしつつ、移動しつつ、可能な範囲でコメントをしました。その中で、否認、自白、ということについて、私なりの感慨がありました。
検察庁にいた当時は、仕事のかなりの部分が、正に「否認との戦い」で、取調べの場で、否認する被疑者とは随分と対峙したことがありましたし、公判でも否認事件はかなり担当しました。公判段階になると、接する場が公判廷になり働きかけも限られますが、取調室では、じっくりと話せる時間がありますから、何とか自白が獲得できないかと、被疑者についていろいろと調べたり説得したりと、苦労を重ねたことが思い出されます。
振り返って、否認する被疑者、被告人(やっているが否認する被疑者、被告人)について考えると、自白するにあたっての様々な障害を抱えているからこそ自白しない、そういうものだと思います。障害は様々ですが、例えば、有罪になって処罰されたくない、刑務所へ行きたくない人は多いものですし、家族に対して申し訳が立たないとか、今やっている仕事を駄目にしたくない、といったこともあるでしょう。取調官だった当時の私は、徐々に経験を重ねるにつれ、深みのある、信用性のある自白は、被疑者が抱える、そうした障害、重荷から解き放たれる、精神的にそこを乗り越えることで出てくるものである、という意識を次第に持つようになって、何が障害、重荷であるかを、否認する被疑者と対峙する際には、よくよく考えて臨むように努めていたことが思い出されます。否認から自白に転じた後の被疑者に、検事さんのおっしゃるとおりでした、検事さんに説得されながら私はこのままで良いのかどうかずっと考えていました、御手数をおかけして済みませんでした、などと何度か言われた際の、うれしい、というのとは異なる、何とも言えない、暗い淵をのぞきこんでいるような気持ちを、今でも、ほろ苦さのようなものとともに思い出します。
その意味で、遠隔操作の被告人が今日までずっと全面否認で来た理由は何だったのだろうか、ということを、今日は考えていました。
被告人というものは、やっている場合もやっていない場合もあり、やっている場合も、何とか罪を免れたい、軽くしたいと、いろいろと考え行動するものです。そういう態度、行動を、非難、批判するのは簡単ですが、人というのは、様々な弱点を持った、強そうに見えても弱い存在である、ということに、思いは致されなければならない、という気が、様々な刑事事件を見てきた私にはしていて、そういう目で、遠隔操作事件の急展開を眺めている自分がいる、と感じていました。
被告人に言いたいこととしては、まずは、自らの行いにより、脅迫され怖い思いをしたり、無実なのに逮捕、勾留され人によっては起訴されたり、捜査や公判を通じて多数の人々に多大な迷惑をかけたことを、認識し謙虚に反省してほしいということです。その上で、自分と真摯に向き合いつつ、今後の弁護人との打ち合わせや公判で、犯行の全貌についてきちんと説明し、この事件の真相解明にできるだけ協力して、こうした犯罪を防止、予防することに役立つ情報を提供してほしいと思います。保釈金1000万円を立て替えてくれた実母や被告人のことを心配してくれている身近な人々も、おそらくそれを望んでいるでしょう。
終わりがなかなか見えてこなかった遠隔操作事件ですが、急展開を経て、やっと終わりが、出口のようなものが、ほのかに見えてきた、という印象を、今は持っています。