なぜ無実なのに「自白」してしまうのか 遠隔操作事件「誤認逮捕」の弁護人が解説

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130324-00000301-bengocom-soci

日本弁護士連合会(日弁連)は3月25日、東京・霞ヶ関弁護士会館で「取調べの可視化の実現を求める市民集会」と題したシンポジウムを開催する。サブタイトルは「PC遠隔操作事件が明らかにした取調べの実態〜無実のあなたも自白する〜」というものだ。
シンポジウムでは、遠隔操作事件で誤認逮捕された男性の弁護を担当した土橋央征弁護士が講演。実際にどのような取調べが行われたのか、その実態を明らかにする。同事件の「真犯人」からメールを受け取った落合洋司弁護士が元検事の経験も踏まえて。密室での取調べの問題点を説明。また、法心理学を研究している青山学院大学大学院の高木光太郎教授が「人が虚偽自白に至る心理状態」について解説する。

上記のシンポジウムが昨日開催され、記事にあるように、私も講演し、パネルディスカッションにも参加して来ました。講演のテーマは「密室取調べの構造的な問題点」で、約15分という、比較的短いものでしたが、内容は概ね以下のようなものでした(言い落したことや、その後のパネルディスカッションで言ったことも盛り込みました)。

検察庁に在籍したのは11年5か月。その間、ほぼ通算して2年ほど、公判に専従していた期間があり、それ以外の10年弱が、取調べを行なっていた期間。なお、一般刑事事件の他、特捜事件、公安事件(東京地検公安部には1年4か月在籍)も経験し、オウム真理教関係事件の取調べも多数担当していて、在籍期間の割には幅広くいろいろな事件は経験したと思う。
1 取調官は、どういう教育を受け、何を考え、何を目指して取調べを行なっているか?
そもそも、取調べの手法が体系的に教育されているわけではなく、取調官は、先輩の話を聞いたり、かつての著名事件の取調べの体験談(自慢話が多い)を資料で読んだりしながら取調べのやり方を見よう見まねで覚えてきた。取調べのノウハウ的なことについて書かれた、ほとんどが元警察官が著者の本も多くはないがあるものの、経験に偏した、精神論を垂れているようなものがほとんど。「確信を持って取り調べよ」といったものが多い。検察庁在籍当時、取調べに関する資料のポイント部分を抜粋して編集した部内向けの本があって読んだことがあるが、その種の資料、書籍の寄せ集めだった。取調官は、そのようにして自分なりの取調べスタイルを確立しようとする。
取調べにあたっては、「被疑者は犯人に間違いない」という確信を持つべきものとされ、否認する被疑者は犯人であるのに嘘をつく存在、弁護人はそれに加担する悪者、という意識を持ちやすい。確信を持って取調べ自白を獲得すべき、弱さがあればそこに被疑者がつけこみ依存してきて自白させられない(割れない)というのが取調官のメンタリティー。
こうして目指されるものは、あくまで「自白」である。
2 取調室の中では何が起きているのか?(なぜ違法、不当な取調べがなくならないのか?)
日本の取調べでは、取調べは一種のカウンセリングのようなものと考えられている。取調官は被疑者との濃密な人間関係を構築することを目指し、そうした関係の中で、悩み事、打ち明け話等々、何でも話してもらえるような状態を目指す。
しかし、身柄事件における時間的制約、被疑者側の権利意識の高まり、取調官の力量低下等々により、なかなかそうした関係を構築できなくなっている。とは言え自白は求められるため、勢い、即効性のある、恫喝、脅迫、動揺を狙った様々な働きかけ(手がけている事業がこのままでは立ち行かなくなる、家族が心配している等々)、利益誘導(多いのは保釈を絡める手法)といった手法へ走りやすくなりがち。故に、違法、不当な取調べが後を絶たないということになる。
なお、人間関係が濃密になりすぎることで、被疑者が取調官に抵抗できなくなり、迎合して虚偽自白してしまう、という危険性も見逃せない。
3 取調官は、被疑者が、犯人ではないなど起訴すべきではない可能性がある、と考えながら取調べるのか?
そういうことは考えないし、考えないようにしているのが実態。そういった弱さを抱えていては、被疑者は自白させられない(割れない)という発想。取調官がじっくりと話を聞き、心証がどの程度取れるかどうか、といった取調べができるのは、例えば、主任検事と同程度のキャリアで取調べに入っている、といった、ステータスの高い取調官。よくある、若手の取調官(キャリアが浅い)には、そういう取調べは許されないし、疑問が生じて、主任検事にその旨報告しても、叱り飛ばされるのがオチ。
4 結局、取調べの実態はどういうものなのか?(現状のままで改善の余地はあるのか?)
取調べの実態は、上記のようなもので、危険性を大きく持っており、密室で行われる限り、取調官の全面的な裁量、コントロール下で行われるだけに、一旦、暴走し始めると歯止めが効かなくなってしまう。虚偽自白が生み出されると、嘘が嘘を呼び、嘘の上に嘘が築かれる、ということになりやすい。密室での取調べが行われるままでは、そういう事態を阻止するのは極めて困難。
5 では、どうすべきか?
取調べの全面可視化しかない。部分可視化は不適当。取調官は、自白を目指し様々な働きかけを行うもので、その中には、見せられない、汚いものも含まれてくる危険性が常にある。部分可視化を許容し、取調官の裁量を認めれば、きれいなところだけ見せ汚いところは見せない、ということが容易に起きる。それは、従来の取調官の法廷証言がきれい事に終始し被告人と水掛け論になってきた経緯を思い起こせばよくわかるはず。
ただ、組織犯罪などで、この場面はどうしても録画、録音をやめてほしいと被疑者が強く希望し必要性が認められる、ということはあり得る。そういう場合は、要件を明確にして必要最小限度の例外を認め、録音録画をしない代わりに、弁護人の立会(必要に応じ既存の弁護人とは別の弁護人の立会も可とする、立ち会った弁護人は報告書を作成する)による可視化の確保、といった方法によるべき。
捜査機関側は、可視化により、取調における信頼関係構築が困難になる、ということをよく口にするが、取調べは刑事司法の一環として公益に資すべきもので、あるべき制度の中での信頼関係構築が目指されなければならないし、捜査機関にとって都合の良い信頼関係論には合理性がない。

シンポジウムでは、他の参加者の方々のお話も聴くことができ、私自身にとってもかなり参考になりました。来場者は400名近くであったとのことで、この問題への国民の関心の高さを強く感じました。開催にあたって準備に尽力された方々に感謝するとともに、こうした機会が今後も持たれて、より良い刑事司法制度の構築に資することを願っています。