クレディ・スイス証券元部長、2審も無罪 株式報酬めぐる脱税事件

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140131/trl14013115140006-n1.htm

日本では会社側が源泉徴収する範囲が広く「報酬がすべて源泉徴収されていると考えるのは無理がない面がある」と指摘。

元部長が日常的に高額取引に関わり、高額報酬を得ていたことから、数千万円の株式報酬の申告を忘れることもあり得ると認定することが「社会常識に反するとまではいえない」とした。

こういった故意(犯意)の認定は、事案により認定根拠や手法も異なりますが、刑事事件における立証ですから厳密さ、厳格さが求められるのは当然のことで、検察、被告人、弁護人が相互に水掛け論状態になるようでは有罪立証は難しいでしょう。
ただ、以前は、裁判所によるこういった主観面についての認定がかなり検察寄りで、「推認」が恣意的に行われて、「知っていたはずだ」「知らなかったはずがない」といった、先入観に証拠を後付けでくっつけるような認定も行われていた面はあると思います。さらに、東京地裁の刑事裁判官にとって、東京地検特捜部は捜査のプロ中のプロの集団で誤りがあるはずがないという強烈な先入観に基づいて、長年、令状実務や公判運営が行われてきたことも、表向きには認める人はいませんが、裏では裁判官の誰もが濃淡はあれそのように考えていたことで、そういった状況に安易に乗っかってしまった本件起訴であったという面も、おそらくあると推測されます。
それが、大阪地検特捜部事件、陸山会事件や関連する捜査報告書偽造事件等で、徐々に特捜部の権威が失墜し、徐々に、裸の王様状態になって行って、特捜部起訴の事件(以前は「マル特」などと言われ別格扱いでしたが)であってもごく普通の刑事事件として厳格に立証がチェックされるようになってきた中での、この無罪判決、ということは感じるものがあります。
故意の立証、認定は、特に自白がないと、今も昔も難しいものですが、本件は、慎重な捜査や起訴に当たっての慎重、厳格な証拠評価が必要であることを、改めて感じさせる、教訓になる事件であろうと思います。