刑事の公判

私の、刑事(民事事件もやっていますが刑事が多い)公判での姿を見て、公判を得意としているような印象を受ける方もいるようですが、法曹生活を送るようになった当初は、不得手という意識があって、公判へ行くのが嫌で気が進まなかったものでした。何をどのようにすれば効果的な立証になるか、ということが実感できず、被告人や弁護人側の反証に対して、検事として確実に立証を積み上げて行く、ということになかなか自信が持てず、特に否認事件では、公判へ行くのが億劫であったことが思い出されます。
それが、徐々に変わってきたのは、検事になって4年目で、名古屋地検へ異動になり、1年間、公判部に所属して、来る日も来る日も公判に立ち会うようになってからでした。今でもそれほど変わらないと思いますが、平成5年、6年当時、名古屋地検公判部の検事が担当する事件は多く、私の場合、多い時で同時に120件から130件くらいの事件を担当していた記憶があります。減っても100件弱くらいはあって、その中で否認事件(一部否認を含む)が、常時、10件から20件の間くらいはあったので、証人尋問や、時間のかかる被告人質問等が次々と降りかかってくるような状況で、かなり苦労しましたが、必死に取り組む中で、それなりにポイントを押さえつつ効果的な主張、立証をする、ということが、何となくわかってきたような気がするようになりました。
その後、東京地検へ異動となり、当初は公安部に所属して、特捜部の応援へ行ったり、また公安部へ戻ったりという、明けても暮れても特殊事件の捜査という日々を送っていましたが、異動して2年目の夏に、公判部へ移るよう命じられ、翌年の3月に静岡地検へ移るまでの数か月間、東京地検公判部に所属して、公判立会に専従する日々を送りました。
その中で、いろいろな一般刑事事件のほか、東京地検特捜部により捜査、起訴された贈収賄事件や証券取引法違反事件など、特殊事件の公判もいろいろと経験することができ、日々、かなり勉強になるという実感がありました。
その後、静岡地検で、3年間、捜査も公判も担当しましたが、この頃になると、当初感じていたような公判に対する不得手意識はなくなっていて、積極的に取り組んで自分なりに考えいろいろな工夫もしてみる、ということができるようにもなっていて、公判が億劫、行きたくない、といった意識を持つこともなくなっていたように思います。
検察庁では、伝統的に、捜査こそが検事の腕の見せどころで、公判は風呂敷に記録を包んで裁判所へ持って行くだけのやりがいのない仕事、といった偏見で見られるような面がありましたが、そうではないということは改めて言うまでもないことで、裁判員制度が間もなく実施されようとする中、公判の重要性ということは、今後、ますます高まることになるでしょう。私自身も、まだまだ勉強すべきことは多いと感じていますが、特に若手の法曹で、公判に苦手意識を持っている人には、できるだけ多種多様な経験を多く積むように心がけつつ、単に右から左へ流すのではなく、その事件特有の問題点を発見、解決するという意欲、姿勢を持って臨むことで、徐々に力がつき苦手意識解消へと進むようにしてもらいたい、という気がします。