戦場の軍法会議―日本兵はなぜ処刑されたのか

戦場の軍法会議 日本兵はなぜ処刑されたのか

戦場の軍法会議 日本兵はなぜ処刑されたのか

昨年8月に、NHKスペシャルで放映された番組を書籍化したもので、私は、Nスペのほうは観ていないのですが、この本のほうで先に読むことになりました。
戦時期の、フィリピン戦線において、敗色が深まり軍紀が乱れに乱れる中、軍法会議が有名無実となり前線の現場における独断、処置として、敵前逃亡等の名目で、兵士が次々と処刑されていたことや、戦後、処刑された兵士の遺族が汚名に苦しんできた様子が、丹念な取材に基づいて明らかにされていて、こういった歴史もあるということに、重いものを感じるとともにかなり勉強になる思いがしました。
現在、日本国憲法下の自衛隊についても、「国防軍」化して、軍法会議を設置しようという動き(通常裁判所への出訴の道を開こうとしている点が戦前、戦中の軍法会議とは大きく異なりますが)があります。確かに、軍紀を維持するという観点では、軍の内情に通じた裁判所が第一次的に司法権を行使するということにメリットもあり、また、戦前、戦中の軍法会議のように、軍内部に法曹資格を有する法務官(それが戦中に文官から武官へと転換することで軍法会議の形骸化が進んだ側面があったことも本書では紹介されていますが)が各所に配されることで、日本国憲法の理念である「法の支配」が進むというメリットも期待できるでしょう。しかし、軍法会議の本質は、軍紀の維持にあり、軍隊という特殊な社会において、そういった目的で司法機関が設置されれば、軍紀の維持が優先され、司法として本来的に必要な正義、公平が損なわれるという危険性は常にあると言っても過言ではないでしょう(それが究極の形で顕在化したのが本書で紹介されているフィリピン戦線で起きたことではないかと思います)。そして、日本国憲法の下、社会の隅々に法の支配を及ぼし暗部を作らず、自衛のための実力組織である自衛隊に対しても徹底したシビリアンコントロールを及ぼすという従来の在り方に、上記のような動きが現実のものになれば、大きな変更をもたらすことにもなります。
本書で紹介されている、軍法会議の危険性を直視しながら、今後の自衛隊における司法権行使の在り方ということも、単に、軍隊に軍法会議がないのはおかしい、といった陳腐な常識論で片付けるのではなく、慎重な議論、検討が必要ではないかということを感じました。