http://www.asahi.com/national/update/1212/OSK201212120028.html
被告は08年5月7日未明、舞鶴市の朝来(あせく)川近くで被害者にわいせつ行為をして抵抗され、顔や頭を鈍器で何度も殴って殺したとして09年4月に逮捕され、裁判員制度導入直前の同月末に起訴された。逮捕直後から一貫して否認。犯行の目撃証言など直接証拠はなく、検察側は、犯行時間帯に現場近くで被告に似た男性と若い女性を見たとする車の運転手の証言などの間接証拠を立証の柱とした。
川合裁判長は、昨年5月の一審判決が有罪認定の根拠とした間接証拠を検討。運転手の目撃証言を「男をほんの数秒しか目撃しておらず、男の目つきや年齢などの説明も変遷している」と信用性を否定。また被告が捜査段階で、被害者のかばん内にあったポーチなど遺留品の色や形状を供述したことを秘密の暴露ととらえた一審の認定についても、「(色や形状に)際だった特徴はなく、犯人でしか知り得ないとは言えない」と結論づけた。
この事案に関する資料を読んでいて感じたのは、逆転無罪になった大阪母子殺害事件
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20120315#1331806854
に似ているということでした。大阪母子殺害事件でも、元々の有罪を目指す証拠構造が、被告人が犯行当時に現場付近にいた、ということを中核に、動機がある等の薄弱な間接証拠しかなく、現場付近にいた、という中核部分が崩れ、証拠構造が崩壊し有罪を維持できなくなった、という経緯をたどりましたが、上記の舞鶴事件でも、1審では信用できるとされた「犯行時間帯に現場近くで被告に似た男性と若い女性を見たとする車の運転手の証言」の信用性が否定され、また、上記のような秘密の暴露類似(秘密の暴露、というのは、本来、被疑者の供述から、捜査機関にとって未知の事情が判明したことを言い、上記のようなポーチ等に関する被疑者供述は、先に捜査機関が把握していた事情に関するもので、秘密の暴露そのものには該当しません)の事情が、被疑者が自発的に供述したことに疑問が持たれ、捜査機関による誘導によるものではないか、という疑念を高裁に抱かせて、結局、元々が脆弱だった証拠構造が根底から崩壊してしまいました。この崩壊を立て直して、上告審で有罪に持ち込むことは、かなり難しいのではないか、というのが私の印象です。
高裁判決では、上記のような目撃証言を得るに当たり、当初(この、「当初」が肝心なのですが)、警察官が、写真面割(複数の写真につき、目撃した者がいない可能性があることを明確に告げるなどした上で適正に行い信用性を確保する必要があるとされています)を適正に行わず、被疑者写真を単独で示してしまったことで、暗示がかかってしまった可能性が指摘されていて、従来、こうした写真面割をいい加減に行なって失敗してきた歴史があるのに、捜査機関は失敗に学べないものだと、あきれる思いがしました。ポーチ等に関する被疑者供述の自発性が否定されたことも、取調べが可視化されていない以上、仮に、捜査機関にとって有利な供述の出方が存在したとしても、あった、なかった、といった水掛け論になれば決め手に欠けることになり、取り調べの可視化というものが、捜査機関にとっても立証の大きな力になり得るものである、ということを、この高裁判決は示唆していると言えるでしょう。
いろいろと考えさせられるもの、教訓を含む判決、ということを感じました。