発達障害者への求刑超す判決、支援団体「認識に誤り」

http://www.asahi.com/national/update/0803/OSK201208030077.html

地裁は先月30日の判決で、姉への殺人罪に問われた被告に求刑を超える判決を出した理由を「被告の障害に対応できる受け皿がない」「長期間の刑務所収容が社会秩序の維持につながる」とした。これに対し、同基金は、刑務所などを出た障害者を支える地域生活定着支援センターが全国にできた点などを指摘。「受け皿をつくる取り組みは進んでいる。障害を理解した上での矯正が必要だ」と訴える。

意外に思う人が多いと思いますが、現行の刑法に、刑の決めるにあたっての基準は定められていません。そこを明示しようとしたのが、今では六法にも掲載されなくなっている改正刑法草案(強い批判にあって事実上お蔵入り)で、その48条で、

1 刑は、犯人の責任に応じて量定しなければならない。
2 刑の適用にあたつては、犯人の年齢、性格、経歴及び環境、犯罪の動機、方法、結果及び社会的影響、犯罪後における犯人の態度その他の事情を考慮し、犯罪の抑制及び犯人の改善更生に役立つことを目的としなければならない。
3 死刑の適用は、特に慎重でなければならない。

とされていました。現在、広く是認されている責任主義という観点で刑罰の範囲を画そうとしたもので、刑法で規定はありませんが、現在も、こういった考え方に立って刑罰は決められていると言ってよいでしょう。その意味で、上記の記事で紹介されている大阪地裁判決は、責任主義とは異質な、社会秩序維持という観点、保安処分の必要性、といった、改正刑法草案が持っていて強く批判されていた要素を、刑の量定という場にダイレクトに持ち込んできていて、刑罰というものの在り方として疑問が持たれるのは当然でしょう。
このような考え方に立ち始めると、賽銭箱から10円盗んだ窃盗犯でも、常習性が顕著で社会に受け皿がなければ最高刑を科し社会秩序を維持すべき、といったことにもなりかねず、それは、刑罰が持つ本来の機能や役割から大きく踏み出すことになるのではないかと思います。「責任に応じた刑罰」ということを、原点に立ち戻って考えてみる必要があるでしょう。