中傷書き込み、逆転有罪=ネットで名誉棄損−東京高裁

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090130-00000109-jij-soci

長岡裁判長は「書き込みは真実ではなく、真実と誤信したことに相当な理由はない」と判断した。
一審はネット上の個人表現について、一般に信頼性が低く、反論が容易として、可能な調査をしていれば同罪は成立しないとの新基準を示していた。控訴審判決は「さらなる社会的評価の低下を恐れて反論を控えるケースがある。内容も、必ずしも信頼性が低いとはいえない」と述べた。 

表現の自由が保護されるべきである一方で、名誉権というものも人格権の一種と考えられている重要な権利であって保護の必要性が高いということは、この問題を考える上で重要でしょう。
そういった前提に立って、従来の名誉毀損に関する確立した法理は、表現の公益性や公共利害性を求めた上で、表現者に対し、真実性か、真実と信じたことについての相当性の立証を求めていて、本件では、それを緩和すべきかどうかが問題となったものです。一審はインターネット上の表現行為について一定の緩和を認め、控訴審はそれを認めませんでした。それについては、賛否両論あるでしょう。
私自身の考えはどうかと言えば、情報を発信する以上、インターネット上の表現行為か否かを問わず、根拠を伴う必要があり、インターネットだからと言ってそこを緩和してしまうのはいかがなものか、という立場です。むしろ、従来の基準とは別の基準が必要であるのは、プロバイダ等の「情報仲介者」についてであり、自らが情報を発信していない立場で真実性や真実と信じたことについての相当性の立証を求められても困惑するだけです。そこは、プロバイダ責任制限法で一定の救済措置が講じられていますが、あくまで民事責任についてのみである上、刑事責任については今のところそういった手当はされておらず、依然として危ういところに立たされているのが実情でしょう。
一審を担当した裁判官の問題意識は評価できますが、それを発揮する場面、発揮の仕方に難があった、という印象を受けています。ただ、一審段階のみで、控訴審で破棄されたとはいえ、こういった判決が出たことの歴史的な意味、意義ということはあると思います。